第8章: 活動の終息
1929年· ババ 35歳ページ 1,015 / 5,444
約14マイルを歩いたにもかかわらず、少年たちは疲れていなかった。10時ごろハッピー・バレーに着くと、彼らは食事を取り、バーバーは少年たちを休ませた。翌日、1929年2月27日水曜日、バーバーは数人の少年を連れてマンジョル・スバの丘やその他の場所へ見物に出かけたが、十五分も経たぬうちに戻ってきた。その間、マンダリと残りの少年たちは二つの組に分けられ ― ヒンドゥー教徒はダケが、イラン人はバイドゥルが率いた ― それぞれが近くの丘へ登りに行った。
バーバーは戻ってきたときにダク・バンガロー(駅逓所)に誰もいないのを見て、ひどく腹を立て、明確な理由もなく二人の男を打ちすえた。
バーバーは居合わせない者たちを罵り始めた。「なぜ、いつ、誰の許しを得て出かけたのですか?いつなりとも私が彼らの同席を必要とするということを、彼らは知らなかったのですか? とりわけここは、私が寛いでカード遊びを楽しむために来た場所ではありませんか!」
バーバーは特にバイドゥルに腹を立てていた。バーバーは半時間にわたり、姿の見えない組のことを案じていた。バーバーはチャンジとカードを一勝負しようとしたが、興が乗らない様子であった。
「彼らはいったい何をしようというのですか ― 自ら死のうとでも?」とバーバーは繰り返し問うた。「馬鹿者ども! 死にたいのですか?」
バーバーが何を意味しているのか、誰にも解しかねた。ところがバイドゥルとダケの組が戻ってくると、彼らは、山を登っていた少年のうち三人が下方の谷へ転落して死ぬところを間一髪のところで免れたと報告した。
翌朝六時、バーバーは少年たちと共に自動トロッコでメヘラバードへ戻った。ブアサヘブとグスタジは、寝具やその他の必需品を運ぶために携えてきた牛車に乗って後を追った。帰途、牛車が横転した。ブアサヘブは無事であったが、グスタジは軽傷を負った。
ミヌー・ポホワラとナディル・ダストゥールが正午にメヘラバードに着いた。バーバーは3月1日にナディル、ベイリーといくつかの仕事について話し合った。ナディルは翌日ボンベイへ戻り、ミヌーは4日に戻った。ベイリーはアフマドナガルに留まる手配をすることに決めた。
1929年3月2日土曜日の夕刻、ヌッセルワン、ダストゥール、ヴィシュヌと当時のインドの政治情勢について話し合っていたとき、バーバーは次のように述べた。
イギリス人はインドにとって最大の恩人です ― 彼らはインドのあらゆるクッチェラ[汚れ、つまり悪しきサンスカーラ]を一掃してくれます!それにもかかわらず、インド人はこのことを解さないが故に、彼らに向かって声高に怒鳴り、呪詛します。
