第8章: 活動の終息
1928年· ババ 34歳ページ 993 / 5,444
トカからの移動の後、メレディス・スター、マーガレットおよびエスター・ロスはアフマドナガルのアクバル・プレスに滞在し、時折メヘラバードのバーバーを訪ねていた。トカからは、サードゥ・クリスチャン・ライクがインド各地への巡礼に送り出されたが、その後メヘラバードに戻った。
メヘラバードで、バーバーはマンダリそれぞれに役目を割り当てた。バーバーは普段どおり、ほとんどの時間を少年たちに割いていた。彼は午前2時に起きて、瞑想するよう命じられた少年たちを監督し、彼らが自分の指示を正しく実行しているかを確かめていた。午前5時には、バーバー自身が皆のためのお茶の用意を手伝い、チャパティとともに自ら手渡して回った。その後、彼は仮設の建物や自身の墓室の建設作業を点検し、少年たちの学校の授業を監督した。時にはアシュラムの時間割を変更し、教師たちに新たな具体的指示を与えた。その一つが、学校では一つの科目――英語――だけを教えよというものだった。
1928年12月8日土曜日の夕方、バーバーがいつもの巡回を行っていたとき、神聖なる陶酔と導師の命令への服従について率直な説明をした。バーバーは次のたとえによって、二つの状態の違いを説明した。
ダイヤモンドや真珠は確かに高価で貴重なものですが、砂漠で喉が渇いたり空腹であったりするときには、それらにはまったく価値がありません。そのときは、一片のパンや一壺の水のほうが、世界中のあらゆる宝石よりも価値があるのです!同じように、神への陶酔は非常に良いものです。それは世俗の事柄や人間関係に対しても、また飲食や睡眠に対しても、無関心であり頓着しません。それは無論、愛しいお方に対する至高の愛がもたらす結果なのです。
しかしこの陶酔は、いかに尊く望ましいものであっても、導師の命令の前では何の価値もありません。それは導師の命令よりも下にあるのです。導師の命令こそが最も高く、至上の試練です。いかなる種類の陶酔があろうとも、導師の命令を厳格に守ることが最善です。そうでなければ、陶酔のために命令を破ることには、ほとんど、あるいは何の意味もありません。私が以前に申し上げたように、最も高い陶酔の状態にあっても、頭は導師の足の上に置かれていなければなりません。これが、あのペルシア語の二行詩の意味です。
愛しいお方の椅子にさえ口づけし、それから別離の苦しみに焼かれていると泣き、嘆き悲しみなさい。
