第7章: トカ
1928年· ババ 34歳ページ 990 / 5,444
月刊誌を発行するという案はK・J・ダストゥールから出たもので、バーバーは彼にその計画を進めるよう励ました。11月22日、バーバーはその月刊誌を『ザ・メヘル・メッセージ』と名付け、ウルドゥー語、マラーティー語、グジャラート語、ペルシア語の雑誌の発行も示唆した。バーバーはダストゥール、ラムジュー、チャンジを呼び、提案された出版物についての意見を交わさせた。その提案、さらに定期刊行物の記事を承認する委員会を設けるという案を聞いて、ダストゥールは腹を立て、平静を失った。自分が編集長に任命された『ザ・メヘル・メッセージ』を除いて、ダストゥールは他のいかなる出版物も世に出ることを望まなかった。
バーバーは、ダストゥールが編集した雑誌の巻頭記事にいくつかの食い違いがあることをダストゥールに指摘した。ダストゥールはチャンジとラムジューを指さし、バーバーはいつも彼らの言う通りにしていると主張した。
バーバーは言い返した。「もしあなたが本当に、私が彼らの指図通りに行動していると考えるのなら、あなたが私と共に留まる意味はありません。」
議論が終わると、ダストゥールは自分の部屋へ戻った。
それからバーバーはラムジューとチャンジに告げた。「彼の好きにさせなさい。私が彼の出方を見届けます。問題のあるものが出版されることは許しません。」
それまでの数か月間、ラムジューは『すすり泣きと鼓動 (Sobs and Throbs)』と題された自著のため、生徒たちの霊的体験や学校アシュラムでの出来事について聞き取りを行うのに忙殺されていた。原稿のタイピングは、アガ・アリが父親とそのボディガードによってアシュラムから連れ去られた日に始まった。
寒さのため、プレム・アシュラムの少年たちの一部はひどい咳に悩まされていた。24日、バーバーはバイドゥルに薬局から咳止めシロップを何本か持ってくるよう指示した。見た目がまったく同じだったため、誤ってヨード液の瓶が一本、咳止め薬の中に混ざってしまった。すべての瓶はバーバーに渡された。バーバーは薬を配る代わりに、瓶の一本をしばらく手の中でくるくると回した。彼は栓を開けて匂いを嗅ぎ、それをバイドゥルに返しながら、それはヨード液だと告げた。バーバーはひどく怒った。
「もしこれが少年たちに与えられていたら、」と彼は言った。「彼らは死んでいたかもしれませんよ!」
バイドゥルは自分の過ちを繰り返し詫び、バーバーは彼を赦した。
当時、病に伏していたマンダリの中にはパドリとメヘルジーがいた。11月25日、メヘルジーは病が重く、食事を取らなくなった。病の間、彼は果汁たっぷりのカブール産ザクロや、オレンジとリンゴを密かに食べたいと願ったが、その望みを誰にも明かさなかった。
