第6章: 愛が泣いている
1927年· ババ 33歳ページ 772 / 5,444
ヨーギーが振るうこれらの力は、普通の人間の力に比べれば実に非常に偉大な力ですが、真理とはまったく関係がありません。なぜなら真理はこのすべてをはるかに、はるかに超えたものだからです。この種の力は、実際には無色もしくは白いものを、見かけ上だけ別の色に変えてしまうにすぎない色付きガラスの眼鏡のようなものです。
サッドグルはヨーギーたちのように呼吸法や行法に努める必要はなく、ただ望むままに思うだけで結果を達成します。誰かが死んでいるか生きているかが、サッドグルにとって何の意味がありますか。サッドグルにとっては両方とも等しく偽であり、両方とも単なる夢 ― すなわち幻影にすぎないからです。世界はサッドグルが望むままにあり、これはヨーギーたちには当てはまりません。ヨーギーたちにとっては、存在する状況は実在であり、それゆえに彼らの望むままに、或るものから別のものへと変えなければなりません。そしてヨーギーたちが様々なサーダナや瞑想、修行に励むのは、これらの変化のためなのです。彼らが獲得する力は途方もないものではあっても、結局はサッドグルのような太陽そのものではなく、太陽の「光線」にすぎないのです。
その日、ヌッセルワン・サタがやって来た。彼は高等学校の設立に関するチラシの草案を作成するよう依頼され、その中には入学する少年たちが得られる利点と益、ならびに入学のあらゆる条件を盛り込むこととされた。
バーバーは説明した。「無償の教育や宿舎、食事、衣服、書物などを提供するという考えは、単なる誘い水にすぎません。第一には、できるだけ多くの少年を霊的な道に置くため、第二には、少年たちに私との密接な接触の益を与えるため、そして第三には、彼らの道徳と人格を理想的な仕方で形作るためです。」
バーバーは、課程が修了するまで学校に留まる確固たる覚悟のある子供だけが入学を許される、という点を親たちが理解すべきだと強調した。必修課程は二年から七年に及ぶ可能性があった。導師と共にあることの益を最大限に得るためには、緊急の場合を除いて子供たちが家に帰ることを許すのは望ましくないとされた。教育課程においては、霊的な科目の教授に優先順位が置かれることになっていた。
ヌッセルワンはその日メヘラバードで草案を書き上げ、用意が整うとバーバーとマンダリがそれを読んで修正した。
翌日、バーバーは宣言した。「新しい学校の教師たちは報酬を受け取りません。彼らは食事と衣服のために働くのです。」
