第5章: 沈黙の始まり
1926年· ババ 32歳ページ 663 / 5,444
人生における最も第一かつ最高の目的は、サッドグルに直接仕え、彼に完全に明け渡すことです。自分自身の神聖な向上のために、これに勝るものはありません!第二は、神聖な名への絶えざる瞑想です。第三は無私の奉仕、第四は礼拝[祈り]を捧げることです。
サッドグルに仕え、あらゆる事においてその命令を一字一句従うことは、修士号のコースを取るようなものです。
愛をもって全能者の名を絶えず繰り返すことは、学士号のために勉強するようなものです。いったん学士号を取得すれば、修士号を取得するのに多くの時間はかかりません。
わずかな利己的動機もなく人類に無私の奉仕をすることは、高校の卒業証書を得るようなものです。
そして祈りを捧げ、儀式や儀礼を守ること — 宗教的戒律やシャリーアトの乾いた訓練 — は、アルファベットを学ぶようなものです。
22日、バーバーはまたマンダリにこう説明した。
サッドグルやグルがいる人々は — 胸と魂で彼に明け渡し、その命令を一字一句従い実行するだけでよいのです!彼らにとってはそれで充分です。もちろんそれも困難です。そのような人々は概して非常に難しい立場にあるからです。一方では世俗的、物質的な執着が彼らを引きつけ、他方ではグルが彼らを自分の方へ引き寄せるのです。彼らの状態は、二人の妻を持つ男のようなものです。もちろん、結局のところはサッドグルが勝ち、彼らをマーヤーの手から引き出し、自由にするのです。
それにもかかわらず、マーヤーの力も決して侮れません。実に、マーヤーの誘惑は途方もなく、克服することは非常に困難です。私のすべての説明と警告にもかかわらず、もし美しい女性が突然ここにやって来て扉に立てば、あなた方は皆きっと彼女をぽかんと見つめるでしょう。これは現在のところ、あなた方がマーヤーの支配下にあるため、許されます。あなた方は皆身体を持っており、マーヤーに惹きつけられている……しかし私はあなた方に申します、マーヤーの束縛と手から逃れるよう全力を尽くしてください。
歯が一本もない人がいると仮定しましょう。甘いサトウキビが彼の前に持って来られたら、彼はどうするでしょうか?サトウキビを噛んで食べる楽しみを味わうことはできなくても、少なくとも味わってみたいと思い、胸の奥底から心からの願いとして「神よ、歯があったらなあ!」と言うでしょう。全く同じように、老人も楽しむことはできなくとも、近くに立つ美しい女性に少なくとも心を引かれ、「神よ、若かったらなあ!」と言うでしょう。
