第5章: 沈黙の始まり
1925年· ババ 31歳ページ 604 / 5,444
バーバーはこの不注意に苛立ち、土器の壺は毎日徹底的に洗浄し、水は布で濾してから入れるよう命じた。さらにバーバーは、壺を常に覆っておくよう指示した。バーバーは再びマンダリに、健康に気を配り、わずかな不調にも直ちに治療を受けるよう注意を促した。重症の場合はアフマドナガルの市立病院へ送ることとなった。
7月22日、バーバーは神聖な視覚について次のように説明した。
ここに2万5千人が座っていて、皆が同じ視覚を持ち、同じ対象――ボール――を見ていると仮定してみてください。さて、その視覚を神のものとしてみてください。すなわち、2万5千対の目を通して見ている見る者は一つだということです。各対の目の前にそれぞれ異なる色のメガネを置き、それらすべてのメガネの前に一つのボールを置いてください。あらゆる目から発する視覚は一つであり、皆が見ているボールも一つです。しかし赤色のメガネをかけた者はボールを赤色に見、黄色のメガネをかけた者は黄色に見、白色のメガネをかけた者は白色に見ます。そのようにして、皆がそれぞれ異なる色のボールを見るのです。
視覚は一つ、ボールも一つですが、2万5千人にはボールがさまざまな色で映ります。この体験の差異は、メガネが異なるためです。これらすべての異なる色は異なる心であり、異なるメガネは異なる身体です。さまざまな色とメガネという媒介を通して、見る者はボールを見ているのです。
したがって、見る者[神]、色[心]、そしてメガネ[身体]があるのです。神は唯一です。ボール[幻影]もまた唯一ですが、神はあらゆる多様な心を通し、さまざまな仕方でこの幻影を体験するのです。
あなた方はご存じのとおり、思考はみな異なり、感情はみな異なり、苦しみと幸福の体験もまたみな異なります。その理由は、皆がそれぞれ異なる心を持っているからです。すべての者の思考、体験、心、身体はそれぞれ異なりますが、この体験をしている方は唯一であり、唯一なる神が無数の身体と心を通してさまざまな仕方で自身を体験する、その媒介たるボール[幻影]もまた唯一です。神がご覧になっているのは色でもメガネでもありません。色とメガネを通して、見る者はボールをご覧になっておられるのです。これらすべてを体験している神は、心そのものではなく、心と身体という媒介を通して幻影を見るのです。
