付録B: 1942年の談話
1942年· ババ 48歳ページ 5,431 / 5,444
侵略には抵抗をもって対しなければなりません。ここで非暴力に固執するのは非現実的です。純粋な非暴力、あるいは朽ちることのない愛は、最後にして唯一の真理を悟ることによって二元性が完全に超越された場所においてのみ、自ずから現れることができます。そして勇者の非暴力は、厳しい鍛錬を通じて心からあらゆる形の貪欲と憎悪を根絶した、進んだ魂たちにのみ可能なものです。しかし大衆について言えば、自己防衛のため、あるいは弱き他の兄弟たちを守るために侵略に抵抗することが彼らの明白な義務であるとき、非暴力という外面的な公式に固執するよう求めるのは望ましくありません。進化していない大衆の場合、非暴力を一律に強要することは、彼らを臆病で無責任で無気力な者にしてしまうだけです。
真の愛は気弱な者や弱き者の遊戯ではありません。それは力と理解とから生まれるものです。侵略に直面したときの非暴力という理想は、大衆にとっては実践不可能です。そしてそれは、卑しむべき状況を奴隷のように受け入れ、明白な義務を恥ずべき形で放棄するための口実として、たやすく悪用される傾向があります。最高の理想に対する熱意の中にあっても、賢明な指導力は、相対的なものや実際的なものに対する感覚をすべて失う余裕は決してありません。人類の進化は段階的に進み、利己的な暴力から利他的な暴力へ、そしてさらに勇者の非暴力から、無限の愛としての真理の純粋にして朽ちることのない非暴力へと進んでゆくのです。
あらゆる偏狭さは愛を制限します。インドにおいてはもちろん、世界の他のあらゆる地域においても、人類はカースト・信条・人種・国籍・宗教・文化といった表面的で究極的には誤った相違に基づき、自らを偏狭な集団へと分裂させています。そしてこれらの集団は、長年にわたり分離的な不信と恐怖に慣れ親しんできたため、互いに無関心、軽蔑、あるいは敵意を抱いているのです。これらすべては無知・偏見・利己心に起因しています。そしてそれは、人為的な孤立主義を打ち破り、生命全体の侵すことのできない統一性の感覚から力を得る、相互性の精神を育むことによってのみ正されうるのです。
創造的な指導力(これはインドという土壌において大いに発揮の余地を持つものですが)は、すべての人間がすでに互いに結ばれているという事実──地球のための偉大な神聖計画における共同の参与者であるばかりでなく、皆が等しく一つの生命の表現であるという点においても結ばれているという事実──を認識し、強調しなければなりません。
いかなる行動方針も、この深遠な真理と完全に調和していない限り、真に有益で実りあるものとはなり得ません。
人類の未来は、このヴィジョンを持つ者たちの手の中にあります。
