第40章: 再び泣く時代
1968年· ババ 74歳ページ 5,368 / 5,444
私はラームでした、私はクリシュナでした。私はこの方であり、あの方であり、そして今、私はメヘル・バーバーです。この血肉の形姿において、私はただ独り永遠に礼拝されながらも無視され、絶えず憶念されながらも忘れ去られる、あの同じ太古の御方です。
11月6日、マニはバーバーを説き伏せて、特別な贈り物として5枚の大判写真にサインしてもらった。結局、それがバーバーが自らの名を署名された最後となった。
1968年11月8日金曜日午前9時、アディ、バスケル、ワマンがメヘラザードに呼び寄せられた。バーバーは彼らと事務所の仕事について話し合われ、自らの顕現の時が間もなく到来するということを改めて述べられた。アディとバスケルは、バーバーの仕事に対して一層警戒し、注意を払うよう指示され、可能なかぎり「事務所から離れないように」と告げられた。
ワマンはどのような事態にも備えていなければならなかった。「何が起こるかわかりません」とバーバーは言われた——これもまた一つの暗示であった。
この時期、アイビー・デュースとドン・スティーブンスとつながりのあるスーフィーで、ボブ・ロイトンという名の者が、韓国で米陸軍に服務していた。彼が1969年のサハヴァスに来られるかどうかが定かでなかったため、アディは11月8日にドン・スティーブンスに対し、12月25日から30日のあいだのいつでも二人がそろって来れば、バーバーが30分間ロイトンに会うことに同意したと書き送った。二人は午前9時に来て、バーバーに会った後すぐに発つことになっていた。
アディはドン・スティーブンスに書き送った。「もしボブ・ロイトンがあなたとともに来られないのであれば、今回の訪問は完全に取りやめねばなりません。そしてあなたとロイトンは、69年の夏に他の西洋の愛者たちとともに、プーナでのダルシャンに来るべきです。」ロイトンの軍からの休暇取得に厄介な遅延が続いた末に、バーバーはついに、彼らが来ることはもはや不可能であると告げ、ドン・スティーブンスに自らの意志に身を委ねるようにとの言伝を送られた。
1968年11月9日土曜日午前9時15分、ガジワニ一家は、ナリマン・ガジワニの妻ケキとその母親とともに、再びバーバーに会うことを許された。バーバーは彼らと約20分間話をされた。
彼は彼らに告げられた。「あなた方は幸運です。ダダ[キシンチャンド]の私への愛ゆえに、誰にも許されていない今日、あなた方には面会が与えられているのです。このような機会は二度と訪れないでしょうから、今、望むことを何でも尋ねなさい。1969年4月10日から6月10日までダルシャンに来る人々には、このような機会はないでしょう。」
ナリマン・ガジワニはバーバーの祝福を願った。バーバーは彼に、父親はバーバーのうちで幸せでいるのだから、誰も彼のために悲しんではならないと告げられた。ナリマンはバーバーに、父親がバーバーに残した金額があり、当初の予定どおり1969年2月7日にメヘラザードでシディク・ジャイプリ・カワールに演奏してもらうための費用にそれを充てることが、父親の願いであったと伝えた。
