第39章: ドラッグ禁止
1967年· ババ 73歳ページ 5,259 / 5,444
ビルは飛行機でインドへ来て、2月16日木曜日にプーナでドンが彼を出迎え、車でメヘラザードへ送り届けた。彼はマンダリ・ホールの向かいにあるコテージのフランシスの部屋の隣室に宿泊することになった。バイドゥルはそのコテージの反対側にある小さな部屋に泊まっていた。
翌朝、ビルの健康や家族について尋ねたあと、バーバーは問うた。「よく眠れましたか?」
ビルは、よく眠れたと答えた。
バーバーは怪訝そうな表情でユーモアを交えて言った。「これは私が子供の頃に学んだ詩、『軽騎兵旅団の突撃』を思い出させますね——右に大砲、左に大砲!片側にフランシス、もう片側にバイドゥルがいて、どうして眠れますか?フランシスは寝言を言うし、バイドゥルはいびきをかきます!」
家族とともにアバターズ・アボードで暮らしていたジョン・ブルーフォードは、1930年代、二人ともが大学で美術を学んでいた頃に初めてフランシス・ブラバゾンと出会っていた。ブルーフォードは優秀な学生であったが、自分には「深く語るべきものがない」と感じて美術を諦めていた。ブルーフォードが初めてバーバーに会ったのは1956年であり、1960年代初頭になってようやく、自分にも捧げられるものがあると悟って、バーバーの顔と頭部を彫刻し描き始めた。
今回のインド訪問にあたり、ビルは、ジョン・ブルーフォードがバーバーの像づくりの進捗をバーバーにお見せするために制作したパリ石膏製の頭部習作を携えて来ていた。バーバーは彼の労作に大いに満足し、それは完璧であり、ブルーフォードはまことに自分の姿を捉えていると述べた。
バーバーは語った。「世界中の私のすべてのセンターがこれの複製を欲しがるでしょう。」
1967年2月22日、バーバーはジョン・ブルーフォードに電報を打った。「完全なる者である私は、あなたの完全な作品に大変満足しております。」
後にバーバーは、アバターズ・アボードの敷地での農作業をやめて、自身の芸術活動に専念するようにとの指示をブルーフォードに送った。1
ビル・ル・ペイジが訪れていたため、バーバーは体調が芳しくないにもかかわらず、毎朝マンダリ・ホールへ出向き、アバターズ・アボードの整備計画について彼と話し合った。ビルは次のように回想した。
愛しいバーバーが耐え抜かれた苦しみの深さと、その14日間にバーバーがアバターズ・アボードという主題のすべてに注がれた集中とを、私が心に抱いているそのままに言葉で伝えることは、不可能とまでは言わずとも、非常に困難であった。
脚注
- 1.1967年にジョン・ブルーフォードが作ったその最初の彫刻は、単にバーバーへの進捗報告のためのものであり、ビル・ル・ペイジはインドでそれをバーバーに見せたのちブルーフォードへ返した。最終的な彫刻は1970年に完成し、大量生産された。その複製はメヘラザードとメヘラバードに展示されている。1996年、ブルーフォード家は一度も手を加えられていない1967年の頭部像の青銅製の複製をマニに贈呈した。マニはそれをメヘラザードのバーバーの寝室に置き(現在もそこに展示されている)、その頭部像を親しみを込めて「オージー・バーバー」と呼んでいた。
