第39章: ドラッグ禁止
1966年· ババ 72歳ページ 5,224 / 5,444
バーバーは身振りで応えた。「はい、私もあなたを愛していますよ。」
「どのくらい私のことを愛してくださっているの?」
「とてもたくさんですよ。」
「どうしてそんなに私のことを愛してくださるの?」
「あなたが私をそれほどに愛してくださるからこそ、私もあなたを愛しているのですよ!」
「でも、私はバーバーのことを覚えていますよ!」
「私もあなたを覚えていますよ。」
「私は『バーバー、バーバー、バーバー』と言いますの。バーバーは何とおっしゃるの?」
微笑みながらバーバーは答えた。「ドリー、ドリー、ドリー!」
1966年4月13日、リシケシュから来た四十代の真摯な求道者スワミ・ラクシュミダスがグルプラサードに到着した。バーバーは例外を設けて、彼に五分間の謁見を許した。バーバーは彼に会えてとても喜んでいるようで、彼を二度抱きしめた。そのスワミはヒンディー語のバーバーに関する文献を読んでおり、ケシャブ・ニガムとも連絡を取り合っていた。同じ日にナグプルのインドゥマティ・ナイクも二人の息子を伴って訪れた。バーバーは彼らにダルシャンを与えた後、退出するよう言った。
二十二歳のジェームズ・ホール・マグルーとリック・チャップマンはデンバーで高校時代の友人であり、ハーバード大学一年生のときはルームメイトであった。1965年、大学の最終学期に、ジムは一人の友人を通してインドに真剣に関心を抱くようになり、そこへ行きたいと願うようになった。1965年5月、彼はインドの平和部隊の職に応募し、採用された。彼が7月にデンバーで出発の準備をしていたとき、リックが訪ねて来て、彼にメヘル・バーバーについて話してくれた。
リックは1965年の春、アラン・コーエンを通してバーバーのことを知ったのだった。リックはサンフランシスコから戻ってくる途中で、そこでアイヴィ・デュース、ドン・スティーブンス、そしてスーフィーたちと会い、バーバーへの熱意で満ち溢れていた。彼はバーバーの映画を観、いくつかの本を購入し、当時バーバーが1965年12月に予定していたサハヴァスのためのインド行きチャーター便にも申し込んでいた。ジムとリックは二人とも前年ボストンで霊性に関心を持つようになり、マグルーは特にバーバーに強い関心を抱くようになった。ジムは次のように回想している。
私自身、西洋文明とそれが差し出すものに深く幻滅するようになっていた。大学を卒業し、職業の世界に入り、郊外に家を持ち、この物質主義社会で成功を目指すという見通しは、私の口に灰の味を残すばかりであった。人生が差し出すものに対して、私は不幸を感じ、落胆していった。神秘主義は、西洋であまりにありふれた物質主義的生活に対する代替を差し出してくれるように思われた。
既に述べたように、1965年9月、バーバーは12月のサハヴァスを取りやめ、自分の愛する者たちと「いつか、どこかで、何らかの形で」会うと約束した。バーバーはさらに隠遁に入る意向を表明し、自分に会えないことに胸を痛めている愛する者たちの心情を痛切に承知しながらも、邪魔されないことを望むと発表した。
