第39章: ドラッグ禁止
1966年· ババ 72歳ページ 5,208 / 5,444
エルチは1956年のウドタラでの事故以来運転をやめていたため、専属の運転手が雇われていた。1959年以来、シャイクという運転手がメヘラザードで雇われていたが、1966年にシャイクは引退してプーナの家族と家へ戻った。代わりにユスフという別の運転手が雇われた。ユスフはバーバーに帰依するようになり、メヘラザードの「飾り付け」にも積極的に加わった。彼は車のバッテリーを使い、当時メヘラザードには電気が来ていなかったため、マンダリ・ホールのバーバーの写真の周囲に照明を取り付けた。村から拡声器が運ばれてきて、朝、五時の時報とともに皆が「アバター・メヘル・バーバー・キ・ジャイ!」と唱えた後、レコードがその拡声器で流された。バーバーが朝食をとっている間、彼の最も好む歌い手ベーグム・アクタールの歌が流れて、彼を楽しませた。
バーバーは、その頃には首の痛みが「20パーセントよくなった」と語り、腰の関節の痛みもそれほど苦しまなくなったと述べた。依然として歩く量はごくわずかではあったが、彼は以前よりずっと楽に歩き始めた。しかし首の痛みのため、誕生日に男性マンダリの一人ひとりがバーバーから抱擁を受ける代わりに、頬への口づけを受けた。
12月に口述された誕生日メッセージのほかに、バーバーはその年に次のようなメッセージも送った。ハイデラバードの定期刊行物『ディビヤ・ヴァニ』には次の言葉を寄せた。
色とりどりの電光看板のように点滅し、あなた方の世界の暗き空をひとときだけ明るくして、再び闇の中に置き去りにする、そのような〔偽の〕導師たちを退けてください。
ライプルの定期刊行物『ガイド』には次の言葉を寄せた。
あなたを脅かし、混乱させ、絶望でつかむすべてのものは、あなた自身の影であります。愛の太陽がその栄光のうちに現れ、すべての顔がその輝きへと向けられるとき、すべての影は消え去り、その影の記憶さえも消えてしまうでありましょう!
ティルパティで印刷された特別な小冊子のためには次の言葉を寄せた。
柱がまっすぐに、しっかりと立つためには、その根本がしっかりと地中に沈められていなければなりません。同様に、私の愛人もまた、もしその愛のうちにかたく留まり続けようとするならば、信仰の根を私の神性に深く下ろしておく必要があります。
ナオシェルワン・ナラワラは、政府から既に同名の刊行物が存在すると通告されたため、自身の定期刊行物『スパーク』の名を変更しなければならなかった。多くの題名の中からバーバーは『グロウ』を選び、1966年2月の創刊号のために次のメッセージを送った。
