第39章: ドラッグ禁止
1966年· ババ 72歳ページ 5,205 / 5,444
ウォルター・スコット卿はこう述べました。「ゆっくり来ようと、速く来ようと、最後にやって来るのは死だけである。」そして詩人アミールはこう述べました。「人は自身の最後の日のために生まれてくる。」しかし私はこう申します。「誰も死なず、誰も死に方を知らない。死に方を知る稀な者は二度と生まれることはない!」
デリー滞在中、デーシュムクはまた、何年も前に一度会ったことのあるインド大統領S・ラーダークリシュナン博士にも会った。彼は『神-人間』を一冊、彼に贈呈した。ラーダークリシュナンは『神は語る (God Speaks)』と『人類よ、聞け (Listen, Humanity)』を読んでいた。バーバーは彼に『神は語る (God Speaks)』を再び読んでもらいたいと望んでいたので、マノハルとモナ・サカーレーが彼に会う(1966年3月6日)際、バーバーの指示を伝えるよう告げられた。
1966年1月1日、エルチはホーシャングとハーボヴィ・ダーダーチャンジーに、バーバーの健康について次のように書き送った。「愛しいバーバーは、健康であれ病であれ、ご自身の肉体の枠組みを、それが担わねばならない普遍的な重荷に合わせて保っておられます。時にはずっと長いあいだ本当に重い病に苦しんでおられるかのように見えるかと思えば、翌日(あるいはしばしば数時間後)には、お体に何事も起きていなかったかのように見えるのです!股関節はだいぶ良くなり、調子よく持ちこたえていますが、首の痛みは依然として残っており、不順な[冬の]天候はしばしばお体の痛む骨と体に影響を及ぼします。」
1月13日、エルチはギンデ博士に、その朝バーバーが彼のことを思い出したと書き送った。バーバーはまた、エルチに対してギンデに次のように伝えるよう告げた。「首の痛みは25パーセントほど良くなり、股関節の痛みは私を悩ませてはいません。」「以前よりいくらか自由に歩き回れるようになりましたが、毎日歩く量はごくわずかです。」
バーバーはギンデに次のメッセージを付け加えた。「あなたが訪ねるのにふさわしい時が来ましたら、ちょうどそのときに私からお呼びいたします。」
16日、サドゥ・ヴァスワーニがプーナで逝去した。
バーバーは彼の甥ジャシャンに次のメッセージを送った。「ダーダー・ヴァスワーニは私にとってたいへん親愛な方でした。そしていまダーダーは永遠の至福の中で、私の内に幸せに憩っておられます。神を愛し神に仕えるために生きた、私の親愛なるダーダーを愛し仕えてくれたあなたとシャンティ、そしてすべての人々に、私の愛の祝福を送ります。」
1月19日、ソラブジ・シガンポーリアとキシンチャンド・ガジワーニが家族とともに30分間メヘラザードに来た。アディが彼らに同行した。彼らはその日のうちにボンベイへ戻った。
ドンは、亡き兄の遺産の件でイングランドへ赴くことをバーバーから許されていた。8か月間離れていた末に、ドンは1966年1月12日に船でインドへ戻ってきた。三日後、彼は大きなトランク七個とその他の荷物八点を携えてメヘラバードに到着した。それらにはメヘラザード向けにイングランドから持ち帰った多くの品が入っていた。バーバーは20日に彼をメヘラザードに呼び寄せ、彼と長時間にわたって諸々の事柄を話し合った。ドンは長年にわたりメヘラバードに住んでいたが、パドリとの不和が続いたためクシュル・クォーターズへ移ることを許され、まもなくアリーバーグへ発つ予定であったキルナーニの住居に入居することになった。
1月20日、アメリカのロバート・ドレイファスからの手紙への返信として、バーバーはエルチに次のように書かせた。「バーバーは仰せになりました。ご自身がいかに広大で、無限で、はかり知れないお方であっても、愛人者の純粋で柔らかな胸はそのお方を容れることができ、その内にそのお方を見いだすことができるのだ、と。」
