第39章: ドラッグ禁止
1964年· ババ 70歳ページ 5,101 / 5,444
同じ頃、チベットのダライ・ラマが率いる大規模な仏教徒の集会がサールナート(ベナレス近郊の村で、約2,500年前に仏陀が最初に説法を行った地)で開かれていた。
バーバーは論評した。「教皇が率いる世界中の多くのカトリック教徒と、ダライ・ラマが率いる世界中の多くの仏教徒が、私の今回の降臨の最中に、インドの異なる二か所で同時に集まったということは、極めて大きな意義があることです。」
ノシル・イラニは1964年12月1日にハミルプルへの旅から戻り、メヘラザードでの滞在を再開した。サンジーヴァニ・ダケパルカルもバーバーの代表としてハミルプルへ赴いており、6日にダケと共にメヘラザードへ来て、その旅の経過を報告した。ラマ、シーラ、メヘルナートも彼らと共に来た。ドンキンは7日にイギリスからメヘラバードに戻り、11日午後2時にメヘラザードでバーバーに会った。
デリーのハルジワン・ラルは、うつ病を患っていた息子インデルを連れ戻すため、最近イギリスへ赴いていた。彼らは1964年12月10日午前10時にメヘラザードへ来ることを許された。バーバーはインデルに、何も心配せず、インドに留まって健康を取り戻すよう助言した。バーバーはさらに、月に一度バーバーへ手紙を書き、5月の集会に出席するように彼に告げた。
1964年12月16日水曜日の午後から、バーバーは股関節に体重がかかるたびに激しい痛みを覚えるようになった。痛みは翌日も続き、ゴヘルは以前にも起きたことがあるように、小さな骨片が関節の内側を傷つけているのではないかと推測した。ドンは17日午後1時30分にバーバーを診察するために呼ばれ、パドリも彼と共に来た。
12月15日、バーバーの弟アディ・ジュニアが、妻のフラニーと二人の子ダラ、シリーンを伴ってイギリスからアフマドナガルに到着した。彼らは17日の朝にバーバーと会った。アディ・ジュニアはメヘラザードへ頻繁に訪れることを許され、何度かバーバーの許しを得て家族全員を連れて来た。
1964年12月中旬、思いがけなく、数人の西洋人女性たちにもバーバーに会うことが許された。そのうちの一人は、クラリス・アダムスの21歳の娘シンシアだった。メルボルンでの大学の課程を終えた後、シンシアはジャニス・カムという友人と共にインドを旅する計画を立て始めた(ジャニスはバーバーに帰依した者ではなかった)。シンシアはフランシスに、自分がバーバーに会える可能性が少しでもあるかどうかを尋ねる手紙を書いた。フランシスは、バーバーは最も厳しい隠遁中であり、その可能性は少しもないと返事をした。シンシアもそうなるであろうと予期しており、他のオーストラリア人大学生数人と共に船に乗って出発した。
