第39章: ドラッグ禁止
1964年· ババ 70歳ページ 5,095 / 5,444
数年後、マージョリーは振り返って語った:
私たちがインドへ発つ前、マザー・ハミルトンは、私がインドに行ったときにはメヘル・バーバーに会うようにと言いつけました。私は彼にお会いすることに興味はありませんでしたが、言われたとおりにし、ボンベイに着いたときにメヘル・バーバーについて尋ねました。私たちは彼の弟子の何人かに会いまして、バーバーは隠遁中で訪問者には会われないと聞かされました。私はとても安堵したことを覚えています。私のような者が、[そのような]偉大なお方にお会いするなど、あり得るでしょうか?その後ほどなく、私たちは一人のバーバーの信奉者から、バーバーが私たちにお会いくださるとの伝言を受け取りました。
彼が住んでおられた小さな家まで車で乗りつけたことを覚えております。近づくにつれ、私たちがどこへ向かっているのかは疑いようもありませんでした。私は強い磁石のような引力を感じていたからです。私が入っていくと、あの方は私を抱きしめてくださいました。あの方は、私のためだけに私たちに会うことを決められたとおっしゃいました。バーバーのそばには、すべての話を取り次ぐ一人の男性がおりました。それはテレパシーのようでした。バーバーからその男性へ何ら意思疎通がなされている様子はなかったからです。
バーバーに会った後、ラニー一家はその後数ヶ月にわたり、自分たちの車でインド各地を巡り、さまざまな霊的な場所や人物を訪ねた。1
1964年11月7日土曜日、シャンタデーヴィを含むおよそ125名のラバーたちが、午後1時から4時までハビブ・カッワールの演奏を聴くためにメヘラザードに集まった。ラタは二曲を歌い、コキラはアフサル・シーマニがバーバーについて書いたガザル[抒情詩]を歌った。
ノシル・イラニはメヘラザードに滞在していたが、11月9日に去った。翌日アディがバーバーに会ったとき、バーバーは機嫌がすぐれない様子であった。その理由の一つはバーバーの健康状態の悪さであった。グラント博士の前回の訪問以来、バーバーは胸部に心臓の痛み、または筋肉の痙攣を一度か二度感じていたが、それらは短時間のものであった。大方は、処方された薬のおかげで頻度は減り、より耐えやすくなっていた。しかしバーバーはなお非常に衰弱を感じていた。痛みに加えて、重さと圧迫感もあった。これに加え、バーバーは両方の太ももと脚に煩わしい痒みと発疹が出たが、数日後には消えた。
脚注
- 1.ケネスは翌年に亡くなり、マージョリーはカルカッタへ移住して、その後の30年間そこで暮らしたが、バーバーとはそれ以上の接触はなかったようである。
