第39章: ドラッグ禁止
1964年· ババ 70歳ページ 5,094 / 5,444
その日、10月22日はメヘルナート・カルチュリの誕生日であった。例年と違い、バーバーは彼をメヘラザードへ呼ばず、バウからの伝言で愛を送り、ラマはメヘラザードのみんなのためにブジア[インドの揚げ菓子]を送った。心電図を取った後、バーバーはバウの家族に会い、キルナニ家を呼び寄せた。
彼はメヘルナートを抱きしめ、こう述べた。「今年、私があなたをお呼びしなかったのは、私自身があなたに会いに来るところでしたからです。変圧器の故障は、ただ私がここに来てあなたにお会いできるための口実にすぎなかったのですよ!」
バーバーはドリー、サロシュ、ヴィルー、バスカル、ウシャ、ルストム・カカ、シラ・カクを抱きしめてから、アディの運転するデソートでメヘラザードへ戻った。
コルシェドは24日にボンベイから到着し、女性たちのもとで3日間滞在した。彼女はその日メヘラザードを訪れていたジャルバーイと共に、27日に去った。
10月下旬、バーバーは健康が許せば、1965年5月にプーナで東洋のラバーたちに、1965年12月にボンベイで西洋のラバーたちにダルシャンを与えると発表した。西洋のラバーたちにはすぐに知らされたが、東洋の人々がこれらの計画を知らされたのは数週間後であった。
1964年11月1日日曜日、バーバーはダルシャン・プログラムの準備について話し合うため、プーナ・センターの12人の働き手を呼び寄せた。1彼らはすべての準備を整えることに同意した。バーバーは彼らに、東西集会のときと同じ形式のパンダル[祭事用の仮設テント]をグルプラサドの裏に設置するよう依頼した。当初バーバーは5月の最初の15日間ダルシャンを与えると示していたが、その後その期間を5月1日から始まる5日間に短縮した。会議の後、プーナのラバーたちは午後4時に出発した。
翌日、インド全土の聖地を巡礼中であったカキナダから来た45名の信奉者を乗せたバスが、バーバーのダルシャンを求めてアフマドナガルに到着した。隠遁中であったため、バーバーは当初、お辞儀も抱擁もなしに、わずか5分だけその一行に会うことに同意した。しかし慈悲の心から、3日に一行に会ったとき、バーバーは一人ひとりが自分に拝礼することを許した。
11月5日木曜日、ガジワニとシガンポリアは、カリフォルニアから来た一家――ケネス・W・ラニー、その妻マージョリー、20歳の息子デイヴィッド――を伴って午後2時に到着した。夫妻はインドの製薬会社ランバクシー・ラボラトリーズの所有者バイ・モハン・シンの友人であった。マージョリーはシアトル在住の「マザー・ハミルトン」と呼ばれるヨーガーナンダの弟子の女性の信奉者であり、その女性が彼女にメヘル・バーバーに会うよう勧めていた。マージョリーはバーバーの著作を数冊読んでおり、世界博覧会のバーバー・ブースを訪れたこともあった。
脚注
- 1.会議に出席したのは、ジャルバーイ、メヘルジー、サダシヴ・パティル、ラマクリシュナン、シンデ、カンブレ、スブラマニアム、ソマン、バヴサル、マドゥスーダン、プラタップ・アヒル、そしてビクバーイであった。
