第38章: グルプラサド庭園、1963年
1964年· ババ 70歳ページ 5,064 / 5,444
この時期、21歳のジャネット・マクアルピンは、オーストラリアでオズワルド・ホールを通じてバーバーのことを知った。彼女は大学生のグループと共にインドを訪問中で、1964年2月初めに学業の義務が終わると、ボンベイのナリマンとアルナヴァズに連絡を取った。彼女がバーバーに会う件について、メヘラザードとの間でメッセージのやり取りが交わされた。バーバーは隠棲中であったため、彼に会う許可は与えられなかった。ただし、4月に会うかもしれないと彼が示唆したものの、それは実現しなかった。その代わりにバーバーは、自分が常に在ると言っていたアンドラのメヘルスタンへ行き、そこで自身のダルシャンを受けるよう、彼女に指示を送った。
コーヴールの誕生日プログラムで、ジャネット・マクアルピンは自身がバーバーのもとに来るに至った経緯を語り、たいへん幸せで、そこにバーバーの「神聖な現存」を感じたと述べた。コーヴールを訪れた後、その若い女性はバーバーの指示に従ってヴィジャヤワーダへ赴き、現地のバーバーの誕生日行事に参加した。(彼女は後になって自嘲気味に、アンドラに滞在していた間、自分が「遠方から来た『愛のメッセンジャー』として披露されていたが、私は次第に自分がその種の者ではないと感じるようになっていった」と回想している。)彼女はさらに、デリー、ナグプル、プーナのバーバーを愛する者たちおよびセンターも訪れた。
奇妙なことに、1956年8月、バーバーがオーストラリアでオズワルド・ホールと共に車に乗っていた際、バーバーは馬に乗っている一人の少女を指差した。7年後にオズワルドがジャネット・マクアルピンと出会い、バーバーのことを語ったとき、彼女は日記を確認し、まさにバーバーが通り過ぎたその日にエルサムで馬に乗っていたことを突き止めたのだった!
ジャルバイは1964年3月8日日曜日にバーバーに会った。同日午後3時、バーバーはアディ、サロシュ、ヴィルーと共にミルザ夫人が自分に会うことを許した。パドリは井戸ポンプと水道管の保守のため、定期的にやって来た。上メヘラバードの居住者たち、すなわちマンサリと、カイコバードの妻と娘たちは、3月21日にメヘラザードでバーバーのダルシャンを受けた。
ペダーソン博士とその家族はオーストラリアへ帰国することになり、彼はブース病院での後任である(同じくオーストラリア出身の)B・A・サウスウェル博士をゴヘルに紹介するため、メヘラザードに来ることを許された。二人の医師は1964年3月22日日曜日にアディに連れられて来訪し、バーバーと共に30分の時を過ごした。
サロシュとヴィルーは、前年11月にハミルプルのナウランガで催されたメラ(祭り)に参加していた。1964年2月初め、バーバーは彼らをメヘラザードに呼び寄せ、3月23日にデラ・ドゥンで新たに開設される、これもまたメヘル・ダムと名付けられたセンターの開所式に、自身の代理として赴くよう頼んだ。
