第38章: グルプラサド庭園、1963年
1963年· ババ 69歳ページ 5,035 / 5,444
ハリー・ケンモアが「悔悟の祈り」を唱えるよう求められ、その後にアールティーが続いた。その日にまだバーバーのダルシャンを受けていなかった者たちが、最後に彼のもとへやって来た。
バーバーは午後五時十五分にホールを後にし、彼の愛する者たちは胸に苦痛と喜びの入り混じった思い——別れの苦痛と、彼との同席にあずかった喜びを抱えて去っていった。
時代はこう記録した。「こうして、1963年の夏のグルプラサドにおける十週間にわたるダルシャンの行事が終わった。あらゆるカーストと宗教に属する男女や子供たちが、インド各地からプーナへと巡礼し、愛しき神-人を一目見ようと、また彼の愛の陽光を浴びようとやって来た。毎週末ごとにやって来た者たちにとっては、バーバーの輝きが、家庭や職場を離れ、混雑した汽車や乗合自動車に乗って彼の足下へと向かう毎週の旅路の間中、彼らを支え続けた。しかし彼らが彼の現臨から得た平安は、彼らに人生での役割を再び担い、彼の大義に仕える力を、新たにされ活力を取り戻した状態で与えた。」
バーバーの希望により、プーナ滞在の残る二週間の間は、サダシブ・パティル、メヘルジー、ジャルバイ、ベヘラムと彼の三人の息子、ジェハング、メヘルワン・ジェサワラ、そしてジャムナガル・ハウスからの数名といった近しい者たちを除き、誰もグルプラサドに彼を訪ねることを許されなかった。ドゥバシュ家には毎日の訪問が許された。
1963年6月18日、バーバーはルビー・ホール・クリニックのグラント医師が自分に対して診断検査を行うことに同意した。X線写真が撮影され、両側の腎臓からの排泄が乏しいことが示されるとともに、血球計算も行われた。二十一日には、ブドウ糖負荷試験が実施された。その結果からグラント医師は、バーバーが中等度に重い糖尿病、慢性糸球体腎炎(腎臓の炎症)、高シュウ酸尿症、そして高コレステロールを患っていると診断した。
グラント医師自身はメヘル・バーバーの信奉者あるいは弟子になることはなかったが、バーバーの現臨に居る時はいつでも「なぜかリラックスし平安を覚え、いつも幸せで自信に満ちた気分で去った」と認めており、すべての緊張が彼から去っていた。
