第37章: 東西の集い
1963年· ババ 69歳ページ 4,926 / 5,444
あなた方は、私への愛の中で祝福されています。二月二十八日のメヘルスターン開所のためにコッヴールに集まった私の愛する者たちの愛が、メヘルスターンを私の現存で満たしました。私は私の愛する者たちのいる所に住まうからです。私はメヘルスターンに、そして私を迎えるためにコッヴールへこの巡礼をしてきたすべての人に祝福を与えます。
アーンドラでは、1963年2月28日金曜日午前7時、マハラニ・シャンタデヴィが入口に張られた七色のリボンを切り、メヘルスターンの一般公開を宣言した。彼女はバーバーの青銅像を除幕し、演説を行った。その後アディはメヘルスターンのドーム上でバーバーの旗を広げ掲げ、演説した。数名の高官、ヨギ・シュッダナンダ・バーラティ、カルカッタのムールティ博士、ナヴサリのホシャン・バルーチャを含む多くの人々が式典に出席し、全員が短い演説を行った。
28日、メヘラザードでバーバーは男女のマンダリ全員をホールに呼び、自分の前に立たせた。午前7時32分、シャンタデヴィがメヘルスターンで像を除幕していたまさにその瞬間、バーバーは手を打ち、その意向に従ってマンダリ全員が声をそろえて「パルヴァルディガール[養い主なる神]!」と叫んだ。
この頃、サティヤ・サイババという名のヨギが南インドで有名になりつつあった。彼は掌に灰を物質化し、信者のために宝石その他の品も現すというのであった。1963年3月2日付の手紙で、ある帰依者がサティヤの力について書き送っていた。これに対してエルチは冗談を言った。「あのような人をマンダリの中に置いておけば、あらゆる面で大いに助けになるでしょう!」
バーバーは「これはタントラ行者の力です」と述べた。
別の時、アイヴィー・デュースは、サティヤ・サイババが第四境地にいて、おそらく自分の神秘力を誤用しているのではないかと問い合わせる手紙を書いた。バーバーは、彼はタントラ行者であり、いわゆる「奇跡」にタントラの力を用いているのだと繰り返した。
一方、ジェーン・ヘインズは三人の子供とともにニューヨーク市に住んでいた。彼女はバーバーについての児童書を書いていたが、どういうわけかその仕事は順調に進んでいなかった。
バーバーは彼女にこう書き送った。「心配してはいけません。書かれた本であれ、まだ書かれていない本であれ、どんな本よりも私にとって大切なのは、あなたが私に抱いている愛です。」
ニューデリー産業博覧会でサカレ家がバーバーの案内ブースを設けた活動について読んだ後、ジェーンは、約一年後に開幕予定のニューヨーク万国博覧会でもメヘル・バーバーを紹介してはどうかと考えた。キティはその家族を訪問中で、ジェーンの考えをとても気に入り、サロシュに手紙を書いた。サロシュはその手紙をバーバーに伝えた。これに対して、バーバーは喜びを表し、その考えを承認した。
