第36章: 無関心であることに関心を持つ
1961年· ババ 67歳ページ 4,749 / 5,444
霊的な道において、精妙界のさまざまな段階で、求道者は甘美な音楽、香り、そして美しい光の光景といった非凡で輝かしい体験を得ます。心智界においては、神を見ることが始まり、そして頂点に至ります。十分な忍耐をもって胸を開き続ける稀有な者は、見られるべきあるがままの私を見ます。しかし、この「見ること」さえも目標ではありません。あなたは私にならなければなりません。
無限の熱意と忍耐に浸された時が流れ、しかるべき瞬間に、求道者は自らが別個の「自我」であるという意識を失い始めます。目覚めてはいるものの、彼は意識の六つの境地で見られうるすべてに対して文字どおり空白となり、こうして無限の真空、すなわち「無」の完全な「暗転」を経験します。そして一瞬にして、彼は神を「すべて」として完全に意識するようになります。
信者の一人が割って入り、訴えるように言った。「ですからバーバー、私たちはあなたの恩寵を求めます。」
それに応じて、バーバーは答えた:
誰も求めたり頼んだりしてそれを得ることはできません。あなたはそのために命さえも捨てる覚悟がおありかもしれませんが、それらすべてをもってしても、恩寵を要求することはできません。どうして恩寵を要求できるでしょうか?恩寵を所有しようというその欲望そのものが、それを受け取ることへの障壁となります。それは限りなき自発性の行為です。
しかし、ある意味では、私の恩寵なしにあなたが私を愛することはできず、それゆえあなたが得るすべての「体験」は、私の恩寵の戯れにほかなりません。
しかし、恩寵そのものとしての恩寵はまったく異なるものです。それは部分的に受け取られるものではありません。それは無限に不可分であり、それゆえ言葉に尽くせないものです。それは、完全に意識された無限が、見かけ上有限なものに自らの無限性を悟らせようとする気まぐれです。有限なる者の側から見れば、それは一滴が大洋を呑み込むことに譬えられます!
その後、バーバーは身振りで言った。「この話題はもう十分です。重要なのは愛だけです。私から何の談話も期待してはならないと回状に書かれているではありませんか? ですから、もう何曲か歌でも聴きましょう。」
音楽の演目が始まった。
翌日、信者たちがホールに着席するとバーバーは彼らに尋ねた。「どんな演目をご用意なさっていますか?」
新たに到着した一団を代表して誰かが答えた。「バーバー、お望みのままに。」
バーバーは答えた。「私の望みの問題ではありません。私はあなた方の望みをお尋ねしているのです。」
脚注
- 1.バーバーはニルヴァン・ニルヴィカルプ[涅槃・無分別]という神聖な状態に言及していた。
