第35章: グルプラサド、1960年
1959年· ババ 65歳ページ 4,590 / 5,444
バーバーはケンモアに言った。「あなた方が私をこの議論に巻き込んだので、私に頭痛を作り出してしまいました。これを治すために、何か面白い話をしてください。」
ケンモアは即座に応じた。
それからバーバーは彼に言った。「もうやめてください。あなたが私をあまりに笑わせたので、顎が痛みます。」
バーバーはマンダリ・ホールで自身の傍に置いて手を洗うのに使っていたアルミ製の盥(たらい)で、プカールの腹を突いてからかうのを常としていた。
ある朝、バーバーがプカールを突くと、そこから生じた音に微笑んで言った。「プカールは空っぽで満ちています。」そして付け加えた。「空っぽで満ちていることが理想的な状態です。その本当の意味が分かりますか?」
ケンモアは答えた。「それは、スポンジから汚れた水を絞り出すように、マーヤーの中で経験するすべての観念や欲望や執着から自身を空にすることを意味します。」
バーバーは頷き、さらに説明した。
それは胸と心を裏返しにすること ― 空っぽで裸になることを意味します。空であるとはすべての欲望を取り除くことを意味し、それは胸に関わることです。裸であるとは心に関わることで、真のゴールを追求するにあたり他者の意見や批判や非難を意に介さないことを意味します。
これがジュナイドの師がジュナイドに空であり裸であれと告げた時に意味したことです。1
[預言者]ムハンマドは自身の時代の民衆を、神について知らないがゆえに耳が聞こえず、口がきけず、目が見えない者たちと呼びました。「彼らが見るものは実在ではなく、彼らが聞くものは真実ではなく、彼らが語ることもまた真実ではない。」と彼は言いました。「ゆえに目を大きく見開いていながら見えず、耳を持ちながら聞こえず、語る口を持ちながらしゃべれないのである。」
一方、バヤジドはかつて自身の弟子の一人に、神を知るには耳が聞こえず、口がきけず、目が見えない者となるべきだと告げました。この言葉はムハンマドの言葉とまさに正反対ですが、両者にはそれぞれの拠り所があります。
バーバーはケンモアに、これをどう理解したか尋ねた。彼は答えた。「世俗のものに執着しないという意味です。」
バーバーは付け加えた。「その通りです。あなたが世間に対して耳が聞こえず、口がきけず、目が見えない者となって初めて神を得ることができます。そうなればエゴはどの方向からもあなたを攻撃することはできません。一度この状態を得れば、フランシスのような宝石はアロバに苛立つことなど決してないでしょう!」
脚注
- 1.ジュナイド(Junaydとも綴られる)はスーフィー・シェイクとして知られるムスリムの聖者で、バグダードに住み、西暦910年に没した。
