第34章: 完全な隠遁
1959年· ババ 65歳ページ 4,557 / 5,444
そして三度、私は働き手たちと会い、正しくふるまい、効率よく仕事を遂行するよう勧めました。私は地元の盲人ホームを訪れ、イェラヴダの催しに出席し、インドのクリケット・チームに会い、マンダリを連れて三本の映画を見に行き、私が書くよう求めた戯曲について、ソーマンのマラーティー語原稿の朗読を聞きました。これらはすべて日々の定まった用事とは別に行われたことです。
三か月がただ過ぎ去っただけのように見えても、実際には本当に多くの仕事がなされました。これらすべては、私が絶えず行っている私の宇宙的な仕事とは別のものです。
この全期間を通じて、私の健康状態は非常に悪く、発熱、頭痛、胃痛がありました。私は大いに苦しんできましたが、それがどれほどのものか、誰にも決して分かりません。誰も、私が杖の助けなしに再び自由に歩けるようになるとは期待していなかったのと同じように、今日では誰も、私が本当に沈黙を破るとは期待していません。私と親密に接している者たちでさえそれを期待せず、私がそうすれば、沈黙を守っていることこそ私について唯一独特なことなのだから、私には特別なものが何もなくなるのではないかと恐れさえしています。
しかし私はあなた方に告げます。私が沈黙を破るとき、多くのことが起こります。私が沈黙を破るということは、ほかの普通の人のように話すという意味ではありません。それは、言葉の中の言葉を語ることになります。私はあなた方に保証します。それが起こる時は非常に近いのです。私は過去にしばしば、現在の世界情勢と、世界中に広がっている反神的傾向について述べてきました。チベットも例外ではありません。1指導者たちは互いを信頼せず、全世界はますます露骨な物質主義に深く沈み込んでいます。
グルプラサードで私と共に暮らすマンダリと、頻繁に私を訪れる愛する者たちに私が望むのは、7月末までの次の40日間、私に百パーセント厳格に従うことによって、私を助けることです。私を少しでも動揺させる原因を与えないよう、最大限努めなさい。各人には当然それぞれの困難や問題があるでしょうが、次の40日間は、そのような事柄を一切私の耳に入れないでほしいのです。この期間中、私の前では、どのような会合も、どのような話し合いも開いてほしくありません。私の前では陽気でいるよう最善を尽くし、気分に屈することが決してないようにしてほしいのです。
脚注
- 1.1959年3月、中国はチベット占領9年に対する蜂起を残酷に鎮圧した。反乱が鎮圧されるまでに一万人が殺された。中国側は数千のチベット僧院を破壊し、ダライ・ラマは十万人の信奉者と共にインドへ逃れた。
