第33章: 1958年西洋サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,417 / 5,444
この便でも、またカリフォルニア行きの便でも、昼食は提供されない予定であった。バーバーは客室乗務員に、機内に何か食べるものはないかと尋ねた。彼女のもとには朝食用のトレイがひとつ残っており、バーバーはそれを持ってきてほしいと頼んだ。彼は少しだけ口にした後、それをラッドの前に置き、昼食として食べるように言った。バーバーはマンダリに、何か食べ物を持ってきていないかと尋ねた。彼らが持っていたのはスパム(加工肉)の缶詰がひとつだけだった。バーバーはドンに、自分の消化に問題がないか尋ねた後、その缶のほとんどを平らげた。
バーバーがラッドに今どのあたりかと絶えず尋ねるので、ラッドはドンの航空地図を借り、それ以降は自分が推定した現在地を指し示すようになった。ラッドは地図上にワシントンD.C.までの航路を線で引き、それを残りの所要分数で区切って印を付けた。案の定、バーバーはワシントンに着くまでずっと地図上で現在地を知りたがった。
操縦士は前もって無線で車椅子を要請しておいた。バーバーは係員の出迎えを受け、車椅子で空港内を通って次便であるTWA47便のチェックインへと向かった。アイビー・デュースの友人が彼らを出迎え、バーバーの1956年の訪問を収めたフィルム三巻を手渡した。また、母親と一緒にバーバーに会った一人の少女は涙を流した。彼らが到着した時点で出発まで15分しか残っていなかったため、バーバーと男たちはすぐに機内へ乗り込んだ。飛行機は午後1時に出発した。機内で軽食が出されたため、結局彼らは空腹を抱えずに済んだ。
一行はロサンゼルスで乗り継がねばならず、接続便まで20分しか余裕がなかった。しかしなぜかTWAは彼らの到着を待って、午後6時50分発の77便の出発を保留することに決めた。バーバーは再び係員に車椅子で別の機体まで運ばれ、その飛行機はまもなく離陸した。彼らは午後8時40分にサンフランシスコに到着した。
ラッドが車を借り、彼らはちょうど午後9時に空港を後にした。バーバーはラッドの家(ケントフィールドのクラウン・ロード141番地)までの距離(35マイル)と、そこまでにかかる時間(車で1時間)を知りたがった。バーバーはまだ半分ほど来たのか、あとどれくらい走らねばならないのかと、絶えず尋ねた。到着すると、バーバーは準備状況について尋ねた。部屋はいくつあるのか?ベッドはどこにあるのか?1
バーバーはスリー・B、すなわちラッドの娘ダイアンの部屋で寝ることに決めた。
到着まもなく、バーバーは杖の一本で家の真ん中に仮想の線を引き、ラッドに告げた。「夜の間はこの線を越えないでください。」
ラッドはマートル・ビーチに発つ前に暖房と給湯を切っておいたことを突然思い出し、バーバーは例外を設けて、給湯をつけるためにその特別区域へ再び入ることを彼に許した。それからアディとラッドは食料品店へ車で出かけ、バーバーのためにセブンアップ(炭酸飲料)、朝食用の食料品、そして近所のハンバーガー店「イート・アンド・ラン」で軽食を買った。
脚注
- 1.この家は1957年にディンプフル一家が建てたものであった。
