第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,227 / 5,444
この頃には、愛する者たちのほとんどがホール内に戻っており、バーバーはプーナのバジャン・グループによる音楽を聴きたがった。その小さなグループは、心を打つバジャンと意味深いガザルでバーバーをもてなした。歌のほとんどは、バーバーの神性をうたったものだった。
ヒンディー語の歌の終わりに、サッドグルの境地について触れながら、バーバーは伝えた。「私は永遠に、不可分なる「一者」であり、絶えずその境地を経験しています。私自身がすべてです — 太鼓もハーモニウムも、音符も旋律も、そして歌い手も聴き手も!私はすべてであり、すべての人の中にいます。」
彼はラマクリシュナンに尋ねた。「私の言うことが分かりますか?」
彼は率直に、ただ言葉を耳にしただけで、それ以上のものは何もないと答えた。
それを聞いてバーバーは微笑み、続けた。「それがサッドグルあるいはクトゥブの境地にある者の意識状態なのです。それはすべてサハジ〔自然で、自発的なもの〕です。サッドグルやクトゥブは「知識」そのものとなっているため、思考の入る余地はありません。しかしながら、私はすべてであり、すべての人の中にいるとはいえ、この部分的な自覚の表れは時折のことにすぎません。」
より明確にするために、バーバーは続けた。「あなたは自分が身体のすべての部分に存在していることを知っていますが、常に身体の各部に存在していると意識しているわけではありません。時にだけ「これは私の鼻だ、これは私の目だ」と言うのです。あなたは小指でもあり、そしてその中にもいるのです。それでも普段は、それを自分のものとして意識してはいません。しかし小指が切り落とされると、はじめてそれを「自分のもの」とはっきり意識するようになるのです。
「サッドグルやクトゥブもまた、自分自身がすべてであり、すべての人の中にいるということを意識的に経験しており、この経験は彼にとって毎秒、即座にして自発的なものなのです。それは、あなたが小指の中にいるという経験と同じく、思考の産物ではありません。この経験こそがサハジ〔自然で自発的なもの〕です!」
カンブレは前日に脚を負傷しており、彼を見やりながらバーバーは言った。「私の働きのためには、必ずしも富める者、尊敬される者、聡明な者が必要なわけではありません。私が必要としているのは、その弱さの如何にかかわらず、素朴で平凡な人々なのです。私がイエスであった時は、貧しい漁師たちに囲まれているのを好み、クリシュナとしては、明るいゴーパール〔クリシュナの仲間であった牛飼いたち〕と共にいることに喜びを感じていました。足の不自由なゴーパールであったペンディヤは、クリシュナにとってとても大切な存在ではありませんでしたか?
「今、私のアバターの時代において、不自由な者たち、堕ちた者たち、そしてほとんどの手立てを奪われた者たちが、私の働き手です。私の働きのためには、あなた方こそが媒介者であることを、私は知っています。ですから、何事についても不安にならないでください。私の言うとおりに行い続け、全世界が好きなことを言うままにしておきなさい。ただ私の指示を実行し、ますます私を愛してください。」
