第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,213 / 5,444
アシアナに着くとバーバーはサルワールに五分間静かに座っているように頼み、彼女は罪悪感を覚えながらそれに従った。
彼女の怒りは消え去り、バーバーは彼女に言った。「怒りは最悪のものの一つであり、飲み込むべきものです。あなたは長い年月、[メヘラバードで]私と共に過ごしました。ですから他の人々の手本となるべきです。」
バーバーの言葉はサルワールに深い感銘を与え、彼女はあれほど取り乱したことを悔いた。こうして彼女はバーバーの全知を確信し、その経験は生涯にわたって彼女の支えとなった。
ボンベイ滞在中、ゴヘルの妹ケイティは物まねや面白い話でバーバーを楽しませ、同様にジム・ミストリーも才気と冗談でバーバーの機嫌を良くしていた。
1957年10月20日日曜日、コルシェドは盲目の歌い手をアシアナに連れてきた。彼の両手にはそれぞれ二本の指が欠けていた。それにもかかわらず、彼はかなり上手にハルモニウムを弾き、いくつかのガザルを歌い、バーバーはそれを楽しんだ。
彼らはボンベイにおり、バーバーがアーユルヴェーダのマッサージを止めていたため、ゴヘルはタルワルカル医師に再び診てもらうことを提案した。医師は新しくX線写真を撮るよう勧めたので、マンダリはバーバーをクイーン通りとチャルニ通りの交差点に診療所を構える有名な放射線科医L・H・アスレ博士のもとへ連れて行った。新しいX線写真はタルワルカル医師に見せられ、彼はいくつかの内服薬を処方した。
先述のとおり、九月にゴヘルはカイロプラクターを探し始め、A・C・S・チャリを通じてカルカッタにいるアルメニア系で米国で訓練を受けたカイロプラクター、M・アレクサンダー博士に、バーバーがそこへ治療に行く可能性について連絡をしていた。バーバーのX線写真が送られ、チャリはアレクサンダー博士によればバーバーは間違いなくカイロプラクティックの矯正で益を得るだろうと書き送った。
彼らがボンベイにいた間、ゴヘルはニューヨークのアデル・ウォルキンから手紙を受け取った。アデルは病院で看護師として働いており、薬やバーバーに必要なものを送るなど、できる限りの形で力になりたいと申し出る手紙をよく寄せていた。手紙の中でアデルは、1956年にアメリカでバーバーに会った盲目のカイロプラクター、ハリー・ケンモア博士こそ、バーバーの痛みを和らげるのに適した医師ではないかと提案した。カルカッタのカイロプラクターに連絡を取る取り組みについての『ファミリー・レター』を読んだ後、ケンモアもゴヘルに手紙を書き、自らの協力を申し出るとともに、バーバーがカルシウム・リン溶液の服用を始めるよう提案した。ゴヘルはアデルの手紙をバーバーに読み聞かせ、バーバーはケンモアをインドへ招くことを決めた。10月23日、ケンモアには11月1日以降できるだけ早い便でインドに来るようにとの電報が送られた。
