第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,170 / 5,444
私はいつの時代も繰り返し宣言してきました。私、太古の存在が人の姿を取るとき、自らをアバターだと称する偽預言者たちが大勢現れる、と。たとえば、一週間前、私はウッタル・プラデーシュから一通の手紙を受け取りました。ある信奉者は手紙に、自分の町には二人の人物がおり、それぞれが自らを当代のアバターだと公言している、と書いています。これが彼の心に大きな混乱を引き起こしました。また、北インドのある町には、自らがアバターだと主張する — そしてその主張について本物の確信を抱いている — 一人の社会事業家がいます。
私がこうしたことを詳しくお話ししているのは、彼らはすべて私の子らであり、こう言うのは私だけの権利だからです。あなた方に関して言えば、あなた方は[そのような人々を]批判してはならず、陰口を言って楽しむこともあってはなりません。もしあなた方が真の聖者を悪く言えば、それはあなた方にとって害となります。あなた方は恐ろしい[サンスカーラ的な]束縛を生み出すことになります。自らを聖者と呼ぶ、いわゆるマハートマたちさえも中傷することを避けるべきです。なぜなら、あなた方には彼らが本物かどうかを確かめる術がないからです。思い上がった聖者たちは、外見上は真の聖者のように振る舞います。あなた方は彼らを見分けることができないでしょう — それはちょうど、あなた方がマスト(masts)[神に酔う者]と狂人を見分けられないのと同じです。しかしながら、彼らの内的な状態には実に大きな隔たりがあるのです!
真の聖者の話に戻りますが、聖者になることは決して子供のお遊びではない、ということを知っておいてほしいのです。「聖者」という言葉そのものは、一般的に用いられたり誰彼に適用されたりするとき、多くの誤解を生み出します。では今、聖者についての誤解を解くようなことを、あなた方にお話ししましょう。
聖者には二種類あります。すなわち、真の聖者と模造の聖者です。普通の人が本物の真珠と模造の真珠を見分けられないように、あなた方も真の聖者と模造の聖者とを見分けることはできません。ただ私だけが、宝石商のように、その違いを見分けることができます。
とりわけインドには模造の聖者が大勢おります。これはヴェーダーンタ(Vedanta)を表面的に学ぶことに起因するものです。ヴェーダーンタを学ぶことで、人は「私は神である」と言うことができます。サッドグル(Sadgurus)もまた、「私は神である」と言います。模造の聖者たちも同じことを言いますが、それはヴェーダーンタの助けを借りてのことです。真の聖者にはそのような助けは要りません。彼らは自分が体験したことを語るのです。また、ヴェーダーンタを読んだうえで、自らにそのような体験がないと自覚しながらも、なお「私は神である」と言う者もいます。これは偽善です。またヴェーダーンタを読んで、真摯な内的感情を抱きつつ「私は神である」と言う模造の聖者もおりますが、実のところ彼らには意識的な体験はありません。
