第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,144 / 5,444
似たような出来事が、インド国鉄に勤めながらビラースプルに暮らしていた南インド出身のバーバーの愛する者、ヴァドレヴ・ラマラオの身にも起きた。彼は鉄道の財産を盗んだという嫌疑をかけられた。彼もまたバーバーを訪ねて来たとき、自分は潔白だと言い張った。バーバーは、もし違法なことをしていないのなら心配しないようにと彼に言われた。
「真実はいつでも必ず勝ちます」とバーバーは言われた。「私のナザル[まなざし]はあなたに向けられています。さあ家へ帰って、ゆっくりお休みなさい。あなたには何も起こりません。」
しかしラマラオは裁判にかけられ、有罪となって数年の懲役刑を言い渡された。彼が獄中にあった間、バーバーは愛する者たちにラマラオの家族の暮らしの面倒を見るよう頼まれた。
釈放されると、ラマラオはバーバーに会いに来た。バーバーは再びお尋ねになった。「真実を話してください。あなたが盗みをはたらいたのですか。」
彼はついに自分の罪を認めた。
「真実はいつでも必ず勝つと、私は申し上げましたよ」とバーバーは言われた。「なぜ前回いらしたとき、私に真実を話してくださらなかったのですか。」
バーバーは彼の耳を引っぱって戒められた。「私はあなたを赦します。ですが、二度とこのようなことをなさらないでください。」
チャタジー博士は、順調に治っていたバーバーの骨折の治療を続けた。容態は着実に良くなっていたものの、バーバーはできるだけ早く寝台から起き上がり、いつものように活動を再開したいと切望していた。
1957年1月7日(月)、バーバーは次のように言われた。「私は早く治らなければなりません。なぜなら、近い将来に成すべき活発な仕事が山ほどあるからです。」
エルチとペンドゥもまた回復しつつあった。エルチは7日にサタラの病院を退院し、ローズウッドへと移された。ペンドゥはまだ動けない状態だったが、容態は着実に良くなっていた。
事故については長期にわたる警察の取り調べが行われた。エルチの運転免許は一時停止され、バーバーを含めた全員から供述が取られた。当局が事故の明確な原因を見つけられなかったため、事件は数か月にわたってずるずると続いた。エルチはついに1957年9月28日に無罪を言い渡された。裁判官はこう宣告した。「それは神の御業であった。」
カカは一日だけプネーへ呼ばれた。サロシュは1957年1月21日(月)に彼を連れて来た。犬のブーティが仔犬を産んでおり、バーバーはカカに、母犬に最もよく似た雄の仔犬を一匹連れて来るようにと伝言を送っていた。バーバーはその仔犬と遊んだあと、カカにその仔犬は手元に残し、ほかの仔犬の大半は人に譲るようにと指示された。バーバーはメヘラザードに戻ると、その仔犬にマスタンと名付けられた。1
1月19日にはバーバーの骨盤のX線写真がさらに撮影され、骨がきちんと癒合していることが示された。翌日の午後6時30分、チャタジー博士がやって来て、ドンが持って来た車椅子にバーバーが数分間お座りになっても構わないと言った。こうして、事故から六週間あまり経って初めて、バーバーは寝台から抱え上げられ、車椅子に座らされた。そして、バーバーは明るく微笑みながら車椅子に乗せられて家の中を回った。その後の数日間、バーバーは股関節の痛みがひどくなりすぎない範囲で、車椅子に座って過ごすようになった。最初の事故の後に使っていた松葉杖がメヘラバードから運ばれて来たが、彼はまだそれを使うことを許されなかった。
脚注
- 1.マスタンとは、生気にあふれた者、または気概のある者を意味する。
