第30章: 1956年西洋への旅
1956年· ババ 62歳ページ 4,093 / 5,444
さて、私たちが話していたあの神聖な愛には、二つの段階があります。第一の段階には、一性への、つまり愛しいお方との合一への渇望があります。そしてもちろん、その中には「私は神と一つになりたい」という渇仰があります。しかし次の段階では、愛する者は愛しいお方から何も求めません。彼はいかなる状況においても愛しいお方を喜ばせることに満足を感じます。そしてそれこそが、真の愛と呼ぶことのできる唯一の愛です。いわゆる愛の中には、永続する幸福は見出されません。そこには幸福と悲惨さしかないのです。いったん至福を体験すれば、それは絶え間なく続きます。
バーバーは続いて、三人の求道者に関するこの物語を口述した。
何年も前、インドで私がダルシャンを行っていた頃、人々は街や近隣の場所から訪れたものでした。訪れた三人の人物について、皆さんにお話しします。一人目の男性が近づいてきて、こう言いました。「バーバー、私は何も欲しくありません。」私はとても嬉しく感じました。それから彼は、こう言いました。「バーバー、私は具合が悪いのです。私はただ自分の健康を望むだけです。それ以外には何も望みません。」次第に彼は、自分のさまざまな困難──大家族のことや経済的な問題──を私に伝えてきました。それから彼は言いました。「私はそれほど多くを望みません、バーバー。ほんの小さなことです。私は神を望みます。」
結局、私は彼にこう言いました。「あなたは健康と、自分や家族のための財産──これらすべて、そして最後に神を望むのですね。それだけですか!」
二人目の男性は言いました。「バーバー、私はいつもあなたと共にいたいのです。あなたにお仕えし、いつもおそばにいたいのです。今や世間とは何の関わりもなく、何も望みません。食事と衣服さえ与えてくださるなら、私は留まってあなたにお仕えします。」私は彼に、留まるようにと告げました。少し経ってから、彼はこう言いました。「私には一つの執着があります。それから自由になったら、戻ってきて、この身体を脱ぎ捨てるまで、あなたのもとに留まります。」その執着とは、彼が背負っていた借金でした。彼はそれを返済しなければならず、それは彼にとって大きな重荷でした。
