第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,579 / 5,444
「私は惨めなるカリヤンです」と彼は答えました。するとジャナクは、彼をさらに十二ヶ月のあいだ立ち去らせました。
この間、カリヤンは思案し始めました——「これは一体何なのか?私が初めてジャナクのもとへ行ったとき、私には何もなかったが、神を見たいと願っていた。それから、私は牢に投じられた。それから、私は王座に据えられた。それから、私は富者となった。それから、私は貧者となった。これらすべては、何を意味しているのか?」と。
十二ヶ月後にジャナクの宮殿に戻ったとき、衛兵の一人が彼を哀れみ、こう言いました、「この愚か者よ、今度ジャナクが『お前は誰か』と尋ねたら、『分かりません!』と答えなさい」。カリヤンはこの助言に従いました。するとジャナクは彼にまなざしを向けました。彼はあらゆる体や全世界の意識を失い、無限なる神としての自らの真我を意識するようになったのです!
この物語の意味は——「私」を失わない限り、皆さんは神を見ることも、神に成ることもできない、ということです。なぜなら、皆さんが居るところに、神はいないからです!
では、私自身のことについてお話ししましょう。私が少年の頃、私は何も知りませんでした。私は霊的なものとは何の関わりもありませんでした。ダルヴィーシュであった私の父は、ペルシアとインドの全土を巡り歩き、托鉢しながら神を瞑想していました。彼はハーフィズや他の詩人たちの詩句をいくつか教えてくれましたが、私はそれらに興味がありませんでした。私はビー玉、凧揚げ、クリケットといった遊びの方が好きで、気がつけば仲間たちのまとめ役になっていました。
しかしある日、友人が仏陀についての小さな冊子を私にくれたとき、私はその本を、慈悲の主マイトレーヤとしての仏陀の再来について書かれた箇所で開きました。すると突然、「実は私こそがそれである」と悟り、自分の深いところでそれを感じたのです。それから私はそのことを忘れ、年月が過ぎていきました。
ある日、私が自転車で彼女の木のそばを通り過ぎていたとき、ババジャンが私を呼び止め、私の額に口づけしました。そして九ヶ月のあいだ、神のみぞ知ることですが、私はごくごく僅かな者しか至らないあの状態にありました。私は自分の体の意識も、それ以外のいかなる意識もありませんでした。私は何も食べずに、あちこちを歩き回っていました。母は私が気が違ったと思い、医者を呼びました。父は分かっていましたが、何も言いませんでした。医者たちにはどうすることもできませんでした。私は眠りもしませんでした。そしてその後に起こったことは、極めて稀なことなのです。それは、世界の苦しみを自ら担うアバターたちにのみ起こることです。私は、私を非常に愛してくれていた兄ジャムシェッドがくれる紅茶のほかには、何も口にしませんでした。
