第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,576 / 5,444
私は今、最初の要点に戻ります。これは後ほど改めて取り上げます。始まりなき始まりの本来の状態は、無限なる御方の無限な熟睡の状態でした。始まりなき始まりにおいては、創造もなく、宇宙もなく——無さえもなく——ただ神の「在る」という状態のみがありました。
それから神の十の状態が始まり、それらは『神は語る』に説明されています。進化と転生の過程の間に、印象が集められていきました。肉体とエネルギーと心が発達し、魂はその無限な状態にありながら、これらの印象によって、自らを有限な肉体として、エネルギーとして、心として経験しました。
では、ここに戻りましょう。熟睡の中で、マルコム[シュロス]は肉体・エネルギー・心を意識しておらず、ただ本当のマルコムとしてのマルコムだけが存在しています。重要な点は、熟睡の状態にあるマルコムは「私はマルコムである」として存在しながら、この「私というあり方」を意識していない、ということです。熟睡または絶対的無意識の状態にあるエゴは、「自然なエゴ」と呼ばれます。エゴには三種類があり、最初のものが自然なエゴです。
皆さんを熟睡から目覚めさせるのは何でしょうか?皆さんの心の上に横たわっている印象です。それらは言うのです、「マルコムよ、起きなさい。私たちは費やされたいのです」と。そこでマルコムは目覚め、考え、欲し、行うことを通して印象を費やしていきます。そしてマルコムは印象を費やしながら、「私はこの肉体である」と考えるのです。この「私」が偽りのエゴと呼ばれます。これについては、あまり深入りしないことにしましょう。本当はマルコムであってこの肉体ではないマルコムは、印象に従って次から次へと姿を取り、新しい印象を費やし続けていきます。しかし、これは別の章の話です。
古い印象を費やしている間に、新しい印象が形成され、それらもまた費やされる必要があります。こうして善悪の印象に応じて、絶えず新しい姿が取られていきます——男、女、美しい者、醜い者、富める者、貧しい者、強い者、弱い者などです。それらは、皆さんが代わる代わる着ては脱ぎ捨てるさまざまな衣服のようなものです。その間ずっと、この偽りのエゴは続いています。
やがて、印象がますます薄くなり、ますますまばらになる時が訪れます。ついには非常に薄くなって完全に消え去り、印象がなくなると、心の働きも止まります。今や欲望も憧れも感情もないため、胸は裸であり、清らかです。それでもなお、皆さんはそこに居ます。そのとき、すべての印象から空となった「私」には、束縛もなく、限界もありません。それは今や、心を超えたあの状態を経験します——心はもはやそこにありません。
