第25章: ハミルプールとアンドラでの大規模ダルシャン
1954年· ババ 60歳ページ 3,434 / 5,444
純粋で、真実で、混じり気のない愛には、欲情のかけらすらもありません。性への欲、権力への欲、名声への欲、誉れへの欲、自身の安楽への欲が、愛の純粋さを汚すのです。
純粋で真実な愛にもまた段階があり、その最も高きものは、神を愛することができるようにと神自身が授ける賜物であります。人が真に神を愛するとき、人は神との合一を切望するようになり、この至高の切望は、愛しいお方に自らの存在のすべてを捧げたいという願いに基づいています。
人が完全なる導師を愛するとき、人はその方にお仕えし、その御心に身を委ね、真心を込めてお従いすることを切望します。それゆえ、純粋で真実な愛は与えることを切望するのであって、見返りに何ひとつ求めはしません。
人が真に人類を愛する場合にも、その幸福のために自分のすべてを捧げたいと切望します。人が真に祖国を愛するとき、報いを求めず、愛し奉仕したという思いさえも抱かずに、自らの命までも犠牲にしたいという切望があります。人が真に友を愛するとき、その友に少しの負い目すら感じさせることなく助けたい、という切望が生じます。人が真に自分の敵を愛するとき、その者たちを友とすることを切望します。両親や家族に対する真の愛は、自身の安楽を犠牲にしてでも、彼らにあらゆる安らぎを与えたいと切望させるものです。
純粋で真実な愛のさまざまな段階に伴う愛の諸々の行いにおいては、自分自身への思いは常に存在しません。自分への思いがただ一つでも交じれば、それは混じり気のある愛となってしまいます。
イチュアラには多くのベルの木があった——あまりにも多く、酸味のあるサクランボほどの実は売り物としての価値もないほどであった。1とりわけその実を好んでいたグスタジが、木からベルをいくつか摘み始めた。それを見て、バーバーと共に来ていた他の者たちもベルを摘み始めた。バーバーは遠くからその様子を見ていた。バーバーは彼らを呼び寄せ、厳しく叱責した。
その土地の所有者が呼ばれ、バーバーは彼にこう伝えられた。「どうかお許しください。私の者たちが、あなたの同意も得ずにあなたの木から実を摘み取りました。この者たちの過ちに対し、私はあなたにお赦しを乞います。彼らは私と共に来ているのですから、私が彼らに対して責任を負います。」
その人は、許しを云々するような話ではないと答えた。彼らがその実を味わってくれたこと自体、自分にとっては光栄だ、と彼は述べた。
バーバーはなおもこう言われた。「あなたがその木の持ち主であり、たとえそれがあなたにとって大した価値のないものであっても、誠実であろうとするならば、まずあなたの許しを得るべきでありました。過ちが犯されたのですから、どうか私たちをお赦しください。」
そしてバーバーがその人の足に頭を伏せて赦しを乞われたとき、その人は見るからに衝撃を受けた様子であった。
脚注
- 1.この木はマラーティー語ではボル(bor)と呼ばれる。
