第24章: デヘラ・ドゥン、1953年
1953年· ババ 59歳ページ 3,365 / 5,444
7月12日日曜日の談話で、バーバーは神を実現したジーヴァンムクタについて説明した。
悟りを得た御魂の境地は、静かで穏やかな大海のようなものです。大海には岸辺がありますが、この神聖なる大海には岸がありません。それは無限であり、始まりもなく終わりもありません。
大海は限りなく、計り知れないため、その中のすべてを呑み込んでしまいます。仮に、ハリチャンドが大海、ニルが穴の中の水、ペンドゥが貯水槽の水だとしましょう。三つともに水ですが、もし誰かが穴の水を汚せば、それは汚れてしまいます。ニルはサンスカーラ的な欲望によって限定されているからです。同様に、貯水槽にゴミの山を投げ入れれば、その水もまた汚れます。ペンドゥもニルと同じく欲望に縛られているからです。しかし大海の水にいくら小便をしても、それは決して汚れることがありません。欲望に縛られていないからです。ハリチャンドは限りなく、それゆえあらゆる限界を自身の中に呑み込みます。第六の境地に達した者でさえ、欲望から自由ではありません。
したがって、欲望が続く限り、解脱はありません。ジーヴァンムクタとは、自らと岸辺の双方を意識するあの大海です。しかし彼には岸辺のために果たすべき務めはありません。
三つの状態があります。
第一に——神-実現の後に肉体が落とされるか、あるいは神意識を保ったまま肉体が留め置かれます。これがマジュブです。
第二に——悟りの後、ある者は粗大意識を取り戻しますが、宇宙的な務めはありません。これがジーヴァンムクタ[肉身を持つ解脱者]です。
第三に——悟りの後、ある者は粗大意識を取り戻し、宇宙的な務めを果たさなければなりません。これが完全なる導師[サッドグルあるいはクトゥブ]です。
ジーヴァートマ[創造意識]とシヴァートマ[神意識]の状態の間にも、いくつもの状態があります。ですが、目標は何でしょうか?大海となること、シヴァ——神となることです!務めを果たすか果たさぬかは、また別の事柄です。
ジーヴァンムクタとはどういう意味でしょうか?それは、神意識のほかに粗大意識をも備え、肉身のうちにあって解脱したまま留まるということです。マジュブには粗大意識がありません。サッドグルは神意識と粗大意識の両方を有し、果たすべき務めがあります。
世間では、ある者は泣き、ある者は笑い、ある者は食べるなど、さまざまなことが行われています。ここに座って我々はこうして話していますが、あなた方は外で何が起きているか知りません。しかし外では何も起きていないと言うなら、それは正しくありません。あなた方は知らないからです。知らないままでどうして何も起きていないと言えるでしょうか?それを知るには、外へ出て行かねばなりません。そして遠くへ行けば行くほど、あなた方の経験は大きくなるでしょう。
