第24章: デヘラ・ドゥン、1953年
1953年· ババ 59歳ページ 3,345 / 5,444
父の状態は子の状態の中に含まれています。そして普遍的な仕事の立場から見れば、子の状態は父の状態より高いのです。神聖な意識の観点からは、両方の状態は一つであり同じです。しかし子の状態では、普遍的な仕事の義務が果たされなければなりません。父の状態には義務がありません。
「これはまったく新しいことです」とニルが言った。
エルチは言った。「キリスト教世界がこれを知り、把握することは絶対に不可欠です。なぜなら、父と子のこの違いを理解していないからです。彼らは子を父より低いものと見なしていますが、あなたが説明なさったことによれば、それは真実ではありません。」
バーバーは答えた。「それが何であれ、私は今、このすべてから自由になりたいのです。それはすべて世界に関係しています。しかしこの主題は普通の人を惑わせます。手品師が手品を行うと、子どもたちは惑わされて、それを本物だと思います。しかし大人はだまされません。なぜなら、それがすべて手品だと知っているからです。」
バーバーはさらに説明した。
第七の意識の境地から、すなわち父の状態から降りてきて、粗大意識を獲得する者は、手品師のようなものです。彼が手品を行う時、全人類は彼にとって子どものようであり、彼の子どもたちは彼の活動を「本物」と見なします。しかし、第七の意識の境地の手品師と粗大界の曲芸師との間には、天と地ほどの違いがあります。神聖な手品師の義務は、宇宙を維持することです。これは、彼が仕事をしている間、子どもたちに、彼らが見聞きするものは真実ではないと教えなければならない、という意味です。そしてそのためには、子どもたちの理解力を高めなければなりません。しかし、世界の理解のためのこのすべてが、いっそう惑わすものになります。この主題については多くの本が書かれてきました。しかしすべては、惑わされた者たちが蛇と思い込みがちな、ひと巻きの縄のようなものです。すべてはその縄の輪のようなもの、偽物です!
うんざりすると感じることさえもまた惑いであり、私が沈黙を破るのを待っていると言う時も同じです。しかしこの惑いは、他の人々を惑いから解くための高い等級のものです。大いなる曲芸師は、子どもたちが誤った道へ行かないよう、真理を支えるために手品を行います。その中で彼は、子どもたちがいつ彼を理解し、真理を知って、これはすべて偽物だと言えるようになるのかと思い、うんざりするのです。
