第24章: デヘラ・ドゥン、1953年
1953年· ババ 59歳ページ 3,295 / 5,444
エルチがバーバーの返答を通訳した:
一つだけ確かなことがあります。私が肉体を脱ぎ捨てるはるか以前に、私は語るでしょう。私の沈黙が破られる時は、長らく待ち望まれてきた神の沈黙が破られる時と一致するでしょう。あなた方すべてが語るような、また私が以前語っていたような、いわゆる「話すこと」は何の役にも立たないでしょうし、その時には私の沈黙にも意味はないことになるでしょう。すべての者の胸を動かし、神のみが実在であると感じさせる「言葉」は、その背後に無限の力を伴う、ただ一つの発せられる言葉となるはずです。
ですから、神が私にその言葉をほどなく語らせることを願いましょう。もし今私が話したならば、人々を私の周りに群がらせることができます。しかしそれは単に哲学者の話に過ぎないでしょう。私たちは心において、また自分の最も奥深い自己において、百パーセント正直でなければなりません。そうすればこの正直さが、神が心に望むことが起こるということを私たちに知らしめます。ですから私はほどなく語り、すべての者にその御言葉を知らしめるでしょう。
キシャン・シンは空軍経理部の重要な役人であった。彼の事務所の職員数人がバーバーのダルシャンに来たとき、バーバーは彼らに説いた:
私たちは思いと行いにおいて正直でなければなりません。神は私たちが絶対に正直であることを望んでいます。神を愛する者であるかのように装うよりは、神を信じない方がましです。私たちが正直になったときにのみ、自分の務めを果たしながらでさえも神を見出すことができます。なぜなら、その時私たちは超然とした思いを感じるからです。ですから、この正直さを得るために、私はあなた方に私の愛と祝福を与えます。
ケシャヴ・ニガムの兄弟であるデヴェンドラは、ハルドワールのアーユルヴェーダ・カレッジから学生たちの一団を連れてきた。デヴェンドラはバーバーに「私は神を見たいのです!」と言い、バーバーはそれに応えて即興でこれらの詩句を詠んだ:
ある者は金を求め、ある者は名を求める。
ある者は力を求め、ある者は誉れを求める。
ある者は子を望み、神を望む者は稀である。
人生は冗談、すべては戯れに過ぎぬ。
バーバーは続けてその詩における「seek(求める)」という言葉の用法を説き、アルファベットボードに綴った:
「seek(求める)」という言葉が用いられています。全身全霊をもって求めるとき、人は求めるものを得るのです。求めたけれど見つからなかったとあなたが言うとき、それは求めるべきとおりに求めなかったということを意味します。求めることによって神でさえも見出されうるならば、もし真心を込めて求めるならば、私たちが追い求める些細なものを得られないはずがあるでしょうか?
