第23章: 燃えるような自由な人生
1953年· ババ 59歳ページ 3,238 / 5,444
皆が大喜びだった。彼はある者には軽く触れ、何人かには口づけし、また別の者たちは抱きしめた。子供たちは体操を披露し、ある一団は彼を楽しませるため古の聖者ナーラド・ムニにまつわる劇を上演した。1バーバーは役者たちの前の床に座り込み、役者たちは一段と奮い立って素晴らしい演技を披露した。
劇は約一時間続き、その後バーバーはプラサードを配り始めた。衣装をまとった幼い役者たちが自分の分を受け取りに彼のもとへやって来た。ナーラド役の主役を演じた少年が(大きな付け髭まで付けたまま)バーバーのところへ来ると、バーバーの耳に何か囁きたいと言った。バーバーが耳を傾けると、その少年は言った、「バーバー、この立派な髭の男[自分自身を指して]はあなたの弟子になりたがっております!」バーバーは彼を愛しげに抱きしめ、少年は大いに喜んだ。プラサードを受け取った少年は付け髭をくるりと撚り、バーバーが本当に自分を信徒として受け入れてくれたという確信を抱いて立ち去った。
午後にはギーター寺院で女性専用のダルシャン行事が催された。インドゥマティ・デーシュムクと娘のサンジーヴァニ、そしてシェルレーカル夫人がバーバーのメッセージを読み上げ、ダルシャンに参加した多くの女性のために彼の身振りを通訳した。マンダリの男性であっても誰一人立ち会いを許されなかったからである。こうした様々な場でバーバーは、子供たちの中では子供、女性たちの中では女性、男性たちの中では男性だった!
夕方、同じ寺院で大規模な公開ダルシャンが行われた。それは夜遅くまで続いた。バーバーはやっとのことで群衆の中を導かれ、宿舎へ送り返された。この行事については事前の告知も、宣伝も、新聞での発表もなかったにもかかわらず、ダルシャンを受けに約一万人が集まった。シェルレーカルはごく少数にしか知らせていなかったが、その日の朝に行われた子供のための行事のため、近隣の人々がダルシャンのために夜にギーター寺院へ押し寄せたのだった。もし事前の告知が新聞に掲載されていたなら、さらに数千人がやって来たかもしれない。
一方、先述のとおりバウと家族はバーバーを追ってナグプールへ来ていたが、バーバーの居場所や予定について全く知らなかった。彼は何か情報を得ようと必死に街を歩き回ったが、何も得られなかった。しかし1月4日日曜日、彼は『ナグプール・タイムズ』に載ったギーター寺院での行事に関する記事を読んでそこへ赴いた。もっとも、その日にさらなる行事が予定されているという記述はやはり一切なかった。
脚注
- 1.サンスクリット語のナーラダ(narada)は人々に知識を授ける者、すなわち神々と人間の間の使者を意味する。ムニ(Muni)は聖者あるいは賢者を意味する。
