第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,236 / 5,444
その日後刻、マンダリと会話する中で、バーバーは十二年前ダヒガオンでウパスニ・マハラジと最後に会った時(1941年10月17日)、つまりマハラジが肉体を脱ぎ捨てる二か月前に二人の間で交わされた言葉の一部を明かした:
「ウパスニ・マハラジは私におっしゃいました、『さあ話せ ― 何でもよい、何かを!お前は話せるのだから、私の前で話さねばならぬ。』私が話さないであろうこと、また話すべきではないことを、あの方はご存じでした。私が話さなかった時、マハラジも私も、あの方が間もなく肉体を脱ぎ捨てることをわかっておりました。あの方は今我々の話を聞いておられます。だからこそ、これだけのことを皆さんにお話ししているのです。」
バーバーは謎めかして付け加えた、「私は今もなお、神が私を愛するように私を愛してくれる者を探し求めております。」
クリシュナジーは行事に参列するためサオネルへ来ており、バーバーは彼に自らの仕事のため北インドへ行くよう指示した。バーバーは彼にどのように生活すべきか(乞食をして暮らし、金銭を受け取らないことなど)、また何をすべきかを具体的に指示した。
バーバーはクリシュナジーに諭した、「どこにいようとも、人々に私の愛を知らせなさい。火のように広めなさい!必要とあらば、あなたの命を懸けてでも、あなたのために定められた計画を遂行しなさい!」
バウはメヘル・バーバーに個人的に会えないことを引き続き気に病み、その夜は彼にとって苦痛そのものだった。2日、彼は再びサーキット・ハウスへ赴いたが、そこではバーバーがナグプールへ発つ準備が進められていた。バーバーは午前7時30分に出てきて車に乗り込み、走り去った。バウは彼の後を追った。車はシビル・ライン近くの交差点で止まり、バーバーは車から出て腰を下ろした。ポファリ、アブドゥル・マジド・カーンら数人が集まって彼を待っていた。バウもそこへ赴いた。エルチがハヌマーンの物語を語り始めた。彼が話し終えると、バーバーは大きな歓声の中、再び車に乗り込み、サオネル近郊のアンゲワダ・センターへ向かった。そこでダルシャンを与えた後、彼はナグプールへ発った。バウ、ラマ、シーラもナグプールへ行ったが、バウはバーバーがどこに滞在するのか、どこでダルシャンを与えるのか皆目見当がつかなかった。
ナグプールでのバーバーの宿舎は、ウェスト・ハイコート・ロードのゴクルペート地区にある弁護士Y・P・ヴェルマの邸宅に用意されていた。マンダリはダラムペートにあるナナ・ケールの実家に滞在する予定で、彼の両親もまたバーバーに帰依していた。
デーシュムク博士もナグプールへやって来たが、そこでは彼の新居が建設中だった。
