第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,204 / 5,444
それゆえ私は、政党や信条や「主義」には関心がなく、人類が真に救われるためには真心をもって普遍的に受け入れられねばならない根本的な価値のみに関心を持っております。
私は聖者にも罪人にも、小さき者にも大いなる者にも、富める者にも貧しき者にも、無知なる者にも賢き者にも、東洋にも西洋にも等しく関心を寄せております。それら全ての者たちのために推奨される、療法の中の療法とは霊的理解であり、これは他のすべての知識の形を包み込みつつ、同時にそれらを超えるものです。それは必然的に理論と実践の融合をもたらします。なぜならそれは心(マインド)のものであると同時に、胸(ハート)のものでもあるからです。理解が我らの法となるとき、我らは滅びざる愛と、動的に創造的な行いを得ます——絡みつくことのない愛、そして結果に執着することのない行いを。神の普遍的なる生命の中での人間の位置についての真の理解は、人間に多くの苦しみ——肉体的および精神的な苦しみ——を避けさせるでしょう。それらは時に誤った行いによって自ら招き寄せ、しばしば歪んだ想像によって自ら作り出されるものなのです。
いかに魅惑的に見える喜びであれ、永遠なる真理の中の生命から湧き出でぬ限り、消え去ってしまうのです。あらゆる苦しみは、恵みと諦念をもって受け入れ、真の価値への目覚めとして用いられなければ、ただ胸を硬くするか、苦々しくするだけです。肉体やエゴ-マインドとの誤った同一視から生じる分離の幻想を捨てぬ限り、苦しみは数えきれぬほど様々な形で繰り返し私たちにつきまといます。そして真の喜びは、分割を許さず制約を受け入れない永遠なる生命の不滅の甘美(アーナンダ)に堅く根を下ろさぬ限り、繰り返し私たちを逃れ去るのです。
ありとあらゆる者の内に永遠に鳴り響くこの神聖なる生命の弟子となりなさい!
ある時点で、ラートの途方もない群衆が制御不能となった。大変な混乱の中、一人の女性がエルチに歩み寄り、群衆の中で息子を見失ってしまったと告げた。そこでエルチはマイクでこう告げた。「小さな男の子が迷子になりました。見つかり次第、どうか壇上までお連れください。」
間もなく、バーバーの近くにいた一人の少年が「お母さん!」と叫んだ。それが迷子になっていた当の子供だった。その子はバーバーの近くに座って彼を見つめていたところに、その案内放送を耳にしたのだった。その少年はバーバーから菓子のプラサードを受け取り、それを座って食べていたのだが、食べ終えればバーバーが二度目のプラサードを下さるだろうと考えていた。ところが母親がやって来て彼を連れ去り、その目論見は台無しになってしまった。
