第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,172 / 5,444
バーバーは立ち上がり、集まった人々に向かって恭しく合掌した。席に戻り、続けた——
私が語り、宣言し、そして決定したことを、あなた方皆に辛抱強く聞いていただきたいのです。私の「燃える人生」を明らかにする前に、今日私が取った信者としての立場をあなた方に説明いたします。
普通の信者には、あらゆる種類の執着が存在します。無知が支配的な要因であるため、欲望と二元性が続きます。そしてこの無知ゆえに、徳と罪、善と悪が意味を持つようになります。心配、疑い、動揺、苦しみは、この無知の産物です。ジナーニ[知者]にとっては不要な生と死も、無知の中では意味を持ちます。したがって、信者にはジナーンが訪れるまで、善も悪も、そしてあらゆる形の二元性も存在します。
ですから今日、私は自らの過ちに対して神の赦しを求める普通の信者の立場を取っているのです。
この説明ののち、バーバーはドンに、自分の代わりに次の声明を英語で読み上げるよう頼んだ(翻訳はすでに用意されており、デーシュムク博士がマラーティー語で、ケシャヴ・ニガムがヒンディー語で読み上げた)——
ほどなくして、私は神に悔い改め、私の罪と、私に関わるすべての人々の罪に対し、神の赦しを乞います。
私自身もこの悔い改めと祈りに含めますので、私が当面、普通の信者の立場——すなわち、邪悪な思い、邪悪な感情、邪悪な言葉、邪悪な行いによって、神との合一への帰依と渇望が幾度も弱められ、汚される者の立場——を取ることを、あなた方に知っておいていただくことが大切です。
私は神のみが存在することを知っており、同様に、善と悪が神自身の一面または顕現にすぎないこともまた、知っています。
普通の人にとっても、また普通の信者にとってさえも、善と悪の真の本性に関するこの知は、信仰または理性の実りにすぎません。したがってそれは理論にすぎず、真の知ではありません。そしてそれは、神の心に基づき、永遠を貫いて遍在する法、すなわちカルマの法から、彼を解き放ちはしないのです。
しかしジナーニは、実際の体験によって真理を知っているがゆえに、これらの束縛から完全に自由であり、それゆえ、ジナーニとしての自分がカルマの法から免じられていることを知っています。彼は善と悪の本性を知っているので、人が思うこと、感じること、言うこと、行うことのいかなることについても、誰一人として咎められるべきではないということもまた、知っています。
