第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,170 / 5,444
私は信者の役を演じるだけでなく、心の底からの真剣さをもって、自らを信者として感じることになるでありましょう。ですから、私は私たち全員のうちにいまし、その方のうちに私たち皆が一つである神への、私のもっとも謙虚な祈りに与っていただくため、選ばれた数名の方々をお呼びしたのです。明日、私は皆さんお一人おひとりに、私が語り、説き、決め、宣することへ注意を向けていただきたいと願っております。
四月の末、神は顕現するでありましょう——それが、私が明日申し上げることなのです。ですから明日の朝は、入浴なさるか、せめて手と顔をお洗いください——あるいは少なくとも、私への愛で心をお清めください!——そして、全身全霊で私の祈りに加わってください。それ以外に何もありません。すべてを知っている神の前にあって、偽善者であることはやめましょう。
ここ何年もの間、私は神への愛のうちに自らを滅し尽くしたマストや聖者たちに頭を垂れてまいりました。今や私は、揺るぎない信仰と愛をもって私を愛してくださる方々の、その愛に頭を垂れます。
その後、さらにバジャンが歌われた。午後4時30分、バーバーは全員に顔と手を洗ってからホールに戻るよう指示した。バーバーは、サオネル組が到着したかどうかを尋ねた。全員がホールに落ち着くと、彼は話を続けた。
今より、朝と同じように神の名をお唱えいたします。明日、私は申し上げるべきことを申し上げ、あるいはなすべきことをいたしましょう。今日、私は百パーセント信者としての立場を取りました。ですから私はそれに従って行動しなければなりませんし、皆さんお一人おひとりも私に協力してくださらねばなりません。明日、私は自らの「燃えるような人生」を明らかにいたします。
おおよそ午後4時45分頃、バーバーは顔と手を洗った。続いて同じ四人が、同じ順序で神の名を声に出して繰り返した。その後、ガデーカル、タデー、マドゥスーダンによるバジャンの歌唱が約一時間続いた。
それが終わると、バーバーは言った。
これから数分間、私はジナーン、すなわち「知識」についてお話しいたします。これはスーフィズムにおいてマレファト、すなわち〈成ること〉の確信と呼ばれるものです。確信には三つの状態があります——知性による確信、見ることによる確信、そして〈成ること〉による確信です。
