第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,165 / 5,444
今日、私はこう申し上げることができます。皆さんのうちのある方々の忍耐、ある方々の愛、ある方々の信仰によって、皆さんが私よりも神に献身しておられると感じるのです、と。今日、皆さん全員の忍耐、希求、愛、信仰を目にする時、私たちに何か願いがあれば、神は四月にそれを成就すると感じます。ですから、今日の私は、信者としての立場を手放してはなりません。ですから、回状に「神の御心」という言葉を加えてください。
サッドグル・ドニャネシュワルについて、バーバーは次のように解き明かした。
彼はたいへん若かったのです。特筆すべきは、一家全員が悟りを得たということです。ドニャネシュワルは十代のうちに悟りを得て、グル・バクティ[グルへの献身]について大変美しい詩句を残しました。彼の兄ニブルッティが彼のグルでした。弟のソパン、妹のムクターバーイーもまた、悟りを得た魂たちでした。彼らがどれほど深い体験を得たかは、神のみが知っています!
スーフィーたちのサルダール[長]、バヤジードは九十歳で悟りを得ました。霊的に99パーセントまで準備のできた者が死んだとしても、残る1パーセントの準備のためにもう一度肉体をまとわねばなりません。そのような場合、悟りは幼年期に到来するか、あるいは六十歳を過ぎてから訪れます。
スーフィズムにおいては、ワーリーたちの等級、種類、宗派、彼らの働きの範囲と伝統、そして道における他の微妙な細部に至るまで、こうした点はすべて明瞭かつ具体的に述べられています。彼らは、世界に対する務めに応じて、完全なるお方たちさえも分類しているのです。カーミルは完全なるお方、アクマルは最も完全なるお方、ムカンミルは至高なる完全なるお方であり、サーヘブ・エ・ザマーン[アバター]はムカンミルを超えるお方です。ナビ[預言者]、サッドグル、クトゥブに関して言えば、彼らを完全だと呼ぶことは幼稚なことになりましょう。完全さとは不完全さの不在を意味する、ということは明らかです。しかしクトゥブのうちには、「無限の完全さと無限の不完全さ」が同時にあると言われます。
聖者アブドゥル・フサイン・ワーリーの物語を語ったのち、バーバーはエンパイア・ステート・ビルに言及した。
「もし皆さんがそのビルの最上階に立ち、下の通りを見下ろせば、人々は虫のように見えることでしょう。それならば、最も高い意識の状態を体験した者たちにとって、人間はどれほど取るに足らず、小さく映ることでしょうか。実に、知識の栄光は言葉に尽くせず、計り知ることもできないのです。」
バーバーはマンダリに、面白い話や愉快な冗談を聞かせてほしいと頼んだ。その後、彼は全員に顔と手を洗うよう指示した。それから、さまざまな宗教における神の御名が声高に繰り返された。それが終わると、バーバーは次のように述べた。
