第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,163 / 5,444
人々はあらゆる仕方で死にますが、それは嘆くべきことではありません。彼らは異なる粗大の身体をまとって、何度も繰り返し生まれ変わるのです。しかし生きている間は、行為に執着することなく、自分が正直に感じることは何であれ行うべきです。
生と生のあいだで身体を取り替えることは、コートを着替えることに似ています。[インド]分離独立の際に亡くなった人々のように若くして死ぬ者もあれば、長く生きる者もあります。彼らは、グスタジのように、コートを頻繁に着替えるようなことはしません。1しかし最近、グスタジが私と共に西洋へ旅した際、彼はきちんと身なりを整え、整然と清潔な装いを保っていました。
バーバーは話を続けた。
マストたちのマスティー[神聖に酔った状態]は、暑さも寒さも病をも中和します。これは確立された事実です。マストたちは自分の身体を健康に保つことなど気にも留めませんが、それでも頑健な体躯を備えています。それは、そうした場合、宇宙を震動させるヴィドニャン[知識]の力が彼らの身体を支え、世話をしているからです。ヴィドニャンの無限の力は、そうした魂たちを助けるため、おのずとマノー・ブーミ[精神界]へと降りてきます。しかし、身体や身体の力を保とうという考えがほんの少しでも生じれば、この力を受け取ることは止まります。ある意味で、マストは本当に死んでいるのです。同じことが、マジュブやバル・ウンマント・ピシャーシュ[幼子のような習癖を持つ、神を実現した魂]についても当てはまります。マジュブたちはこの世と何の繋がりも持たず、その意味で「屍が死を呑み込む」のです。
科学者たちにとって、この力について知ることは不可能です。彼らはエーテル、電子、陽子を発見しましたが、精妙界の縁にすら到達していませんし、これからも到達することはできません。
ヴェーダーンタは説きます。粗大界にいる者はアンナ・ブーミ[粗大界]に生き、プラーナ・ブーミ[精妙界]にいる者はエネルギーによって生き、マノー・ブーミから来た者はアーカーシャ[天、空、虚空]に生き、ヴィドニャン・ブーミから来た者はスーラジ[太陽]の中に生きると。
魂が大いなる魂と合一した者は、太陽の中に生きます。クトゥブたちとアバターは太陽の中に生きていますが、それはあなた方が空に見るあの太陽ではありません。それはまったく異なる太陽です。それは無限の力、無限の至福、美、音、知識などの源泉です。この太陽のあらゆる属性は無限です。永遠に存在する無限のテージュ[神聖な火、光輝]は、まず精神界を通り抜け、次に精妙界を通り抜けて、ついには粗大界へと達します。
脚注
- 1.グスタジは継ぎはぎだらけの古びたコートを着る習慣があり、衣服を替えることを嫌がった。
