第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,158 / 5,444
彼が話せば話すほど、私は彼が好きになります。ババダスは無限に脈絡がないと言っても、決して言い過ぎではありません。先ほどババダスが偉大な詩人カーリダーサや偉大な献身者スールダースに言及したとき、その二人と当の話題、そしてババダス自身との間には、三つの名前の末尾につく「ダース」[しもべ]という共通の語以外、何の関連もまったくなかったのです!
アンナ104のような性格は、聖人や賢者の忍耐をも、リシ[聖仙]やムニ[聖賢]の寛容をも使い果たさせるに十分すぎるほどであり、ここにいる者たちは事実上みなアンナに反対しています。ここにいるあなた方の大半が、アンナがいなくなった瞬間にホッと安堵のため息をつくであろうことを、私は知っています。あなた方もご存じの通り、私は彼とババダスの両方の機嫌を取らずにはいられず、時には彼らを傍に置いておくために、わざわざ大変な手間さえかけているのです。
この尊い二人について、ここにいる誰もが意見を異にすることのできない一点は、それぞれの能力と力量に応じて、二人とも私に偉大で、多少なりとも独特な奉仕をしてきたということであり、私はまた、二人ともが心から私を愛していることも知っています。
その後バーバーは、過去のアバターたちの生涯における、彼らのユーモアの感覚を物語る様々な出来事を挙げた:
かつてラスール・エ・クダー[神の使徒]が体調を崩されたとき、ある者がそれは邪眼のせいだから、開いたナイフを下に置いた枕で眠るべきだと進言したと言われています。彼はそうし、その後、自分は大丈夫だと宣言されました。それを通常のものと呼ぼうと神聖なものと呼ぼうと、それはムハンマドのユーモアの感覚でした。
預言者は、孫であるハサンとフサインの幼少期に、殉教者たちの母である娘ファーティマに、モハッラム・カルバラ[の戦い]を予言されたというのは事実です。実際に当時のアラビアの野蛮人たちを、世界のための信仰、愛、真理の松明の担い手へと変えたあの預言者が、イスラムにおける最大の悲劇を避けようとも、自分のたった二人の孫の最も恐ろしい最期を止めようともしなかったのは、ひとえにムハンマドの内にある神の神聖なるユーモアの感覚のゆえでした。
同じく、カウラヴァとパーンダヴァの間の争いとそれに続く流血も、クリシュナの内にある神聖なるユーモアの感覚のゆえだけではなく、その極致は、ランギーラ[彩り豊かな、戯れに満ちた]アバターを少しも害するつもりのなかった、ある普通の狩人の弓から放たれた矢が、偶然にも彼の片脚に当たってクリシュナ自身が亡くなられたときに達したのです。1
脚注
- 1.カウラヴァとパーンダヴァは、クリシュナの降臨期に互いに戦った二つの一族である。
