第21章: マノナッシュ
1950年· ババ 56歳ページ 2,950 / 5,444
ビハール、ベンガル、オリッサでは、一部の地域の洪水、別の地域の旱魃、そして地震のために食料不足が広がっていた。インドとパキスタンの分離独立の後、難民問題もまた一部地域の悲惨さをいっそう悪化させていた。たとえばビハールでは、コシ川沿岸の洪水のために人々がひどく苦しんでいた。多くの人命が失われ、財産も破壊された。ダルバンガのジラ・パリシャッド(郡委員会)の議長であるジャナキ・ナンダン・シンと、その同僚バイジナート・ミシュラは、洪水被災地の被災者や家を失った人々と接触するバーバーの仕事を大きく助けた。エルチ、ペンドゥ、バイドゥル、グスタジ、そして案内役を務めたバイジナート・ミシュラを伴い、バーバーはトンガ(馬車)に乗ってタムリア駅から4マイル離れたマデプル・ターナ村へと向かった。そこで彼は、困窮した三家族にそれぞれ500ルピーの愛の贈り物を配った。それぞれの家族に対して、バーバーは彼らの足を洗い、その足に自分の頭を置き、その間エルチが宣言文を読み上げた。マデプルを離れたバーバーは、次にトンガでカチュワ村へ向かい、そこでも困窮した二家族の足を洗い、その上に頭を置いた後、それぞれに500ルピーずつ渡した。そこから彼はベハット村へと向かい、同じやり方で二家族にそれぞれ100ルピーずつが渡された。マイヴィ村では、同額がもう一家族に贈られ、そこではバーバーは何人もの貧しい人々にもそれぞれ5ルピーずつ渡した。その日のバーバーの案内役を務めたバイジナート・ミシュラは無私の働き手であり、彼自身もまた洪水の被災者であった。バーバーは彼の足も洗い、彼に向かって頭を下げてから148ルピーを渡した。ビハールからバーバーは列車で北のヒマラヤを越えてネパールへ向かい、そこジャナクプルで仕事を続けた。ジャイナガルからジャナクプルへ向かう途中、バーバーと奉仕者の同行者たちは貨車に似た開放型の客車で移動した。明かりがなかったため、彼らは一晩中、灯油ランタンを灯し続けなければならなかった。列車はどの駅でも何時間も停車した。ジャナクプルでチベットとネパールの聖者やサドゥたちと接触するため、バーバーは真夜中に水田の中を歩き、同行者たちはランタンを手にしていた。この全行程の間、彼らはほとんど眠れず、眠るときも列車の中で数時間うたた寝するだけであった。バーバーの仕事が終われば、どこにも滞在することはなかったからである。このような慌ただしいペースの中で、時にはきちんとした食事にありつけたが、しばしばそうではなかった。バーバーと同行者たちは次に南へ向かい、ベンガルへと旅した。カルカッタへ向かう途中、彼らはコルゴンの小さな鉄道駅に立ち寄った。バーバーはそこで一人のマストと接触したが、そのマストはバーバーと一行を自分の「客人」として一晩泊まっていくよう招いた。しかしバーバーは、次の列車でカルカッタへ向かうことを望んでおり、同時にそのマストの気分を害したくもなかった。彼は自分たちが立ち去るのを許してほしいと、そのマストに何度も伝言を送った。そのマストが駅に来ると、群衆が集まった。群衆は彼らが何らかの形で自分たちの土地の聖者を煩わせていると考えて落ち着かなくなり、エルチとバイドゥルは押しのけられた。バーバーと同行者たちは列車に乗り込み、そのマストは信奉者たちに付き添われてその場を去った。
