第17章: 会合とダルシャン
1946年· ババ 52歳ページ 2,527 / 5,444
ドン、ラノ、キティ、マーガレットはデリーでその一行と合流し、皆そろってデーラードゥンへと出発した。グスタジと彼の兄弟スラムソンはピンパルガオンに残された。
ケキ・ナラワラは彼らを出迎えるために駅で待っていた。彼は事前の指示に従って、デーラードゥンからニランジャンプルまでの交通手段を手配しておいた。彼はまた、滞在の最初の数日分の調理済みの食事の手配にも気を配った。
ニランジャンプルでバーバーは女性たちをいくつかの組に分け、次のマスト巡業の細かな段取りに没頭した。
プーナからヴィタル・ボクレの娘が到着した。バーバーは彼女とケイティに一週間料理の務めを与え、次の週にはコルシェドとキティにそれを任せた。初めからメヘラがバーバーの食事を作っており、健康のすぐれなかったナジャには家事を監督する務めが与えられた。マニはバーバーへの読み聞かせと通信文の代筆に従事し、メフルはバーバーの衣類の洗濯や部屋の掃除、メヘラの手伝いといった、バーバーの身の回りの雑用を受け持った。
1946年4月20日土曜日、バーバーはエルチ、カカ、ジャルバイとともにハリドワールとリシケシュへ赴いた。バイドゥルは25日に彼らと合流した。一週間にわたって幾人ものサドゥと接触したのち、バーバーはニランジャンプルへ戻った。
1946年5月1日水曜日、バーバーはカカを伴って自らマーガレットをデリーまで送り届けた。彼女はバーバーの働きのためにイギリスへ戻ることになっていた。こうして西洋人女性のうちにはキティとラノだけが残ることとなった。マーガレットは初めてカカ、バーバーと同じ客室に乗り合わせた。
デリーの駅でバーバーは彼女にこう告げた。「私の愛を西方へ運んでください。」
イギリス行きの船の予約を取るのは難しかったが、バーバーの恩寵によってマーガレットはボンベイに到着してから十日後にそれを果たすことができた。こうして彼女は導師とともにインドで七年を過ごした後、故国へと戻った。
ピンパルガオンを発つ前、バーバーはマーガレットに、イギリスに戻ったらできるだけ早くアメリカへ行き、その国をできる限り広く旅してほしいという意向を示した。マーガレットは驚き、当時はアメリカへ旅するのは難しいのですと説明した。
バーバーは笑って、こう綴った。「あなたは行かなければなりません。私はあなたを、アメリカにおける私の窓口として定めました。」
事実、マーガレットはアメリカに到着して間もなく、アメリカン・バレエ・シアターと共に巡業する仕事を得て、その仕事のおかげで国中を縦横に旅することとなった。
デリーからバーバーはパーニーパットへ赴き、十二名のマストと働いた。アッラー・ディアと呼ばれる、裸で目の見えないマストが、クトゥブ・ブアリ・シャー・カランダルの聖廟の近くの開けた場所に座っていた。
