第17章: 会合とダルシャン
1945年· ババ 51歳ページ 2,504 / 5,444
日中、バーバーはおよそ十名のマストに接触したが、その中で最も傑出していたのは、激しい気性を持つ第6境地のジャラリ・マスト、モハメド・ババであった。彼は汚れたぼろ服をまとった老ムスリムであった。このマストの所持する襤褸の束が、ある喫茶店の棚に積まれていた。そのマスト聖人はこの26年間そこに座って過ごしていた。バーバーは喫茶店で二度彼に接触しようとしたが、そのマストはひどく罵り、接触されることを望まなかった。最終的に三度目の試みで彼はバーバーが自分の足に触れることを許したが、バーバーは完全には満足していなかった。
カタックでは、半ばマストで半ばサリクである名高いパグラ・ババも接触された。この高い境地の魂は多くの人々から崇拝されており、弟子たちが彼の前でアールティとプージャを行うアシュラムを構えていた。バーバーはこの接触に満足し、パグラはバーバーに甘菓子を差し出し、バーバーはそれを口にした。タコーレ・マイと呼ばれるマスターニにもバーバーは接触した。この女性はカタックを、頭に乗せたぼろ束以外は何も身につけずに歩き回っていた。バーバーは、ゲルと呼ばれるもう一人のマスターニにも接触した。彼女はがっしりとした体格の女性で、いつもある特定の診療所の階段に座っていた。もう一人、注目すべきはハフィズジー・ババで、彼は廃車となったバスの車体で作った掘っ立て小屋に横たわって暮らす痩せた老人であった。バーバーは彼をレストランに連れて行き、そこで紅茶とビスケットがふるまわれた。
その晩、ペンドゥとエルチはシハワでのバーバーの隠遁の準備をするため、列車でカタックを出てライプルへ向かった。すでに万事の準備を進めていたジャル・ケラワラには、準備を急ぐようにとの電報が打たれた。10月19日、バーバー、カカ、グスタジ、バイドゥルは列車で発ち、午後にジャルスグダで下車した。彼らは20日にサンバルプルへ行ったが、マストを一人も見つけられなかったため、ジャルスグダに戻り、ライガル行きの列車に乗って翌日そこに到着した。
時代が伝えたところによると、「メヘル・バーバーのマスト探索は決して『休暇』ではなかった。バーバーはくつろいでいるときでさえ、常に働き続けていた。彼のマストを探す旅は不便に満ちていた。すなわち旅程の苦しさ、街道脇の場所でかろうじて食べられる程度の食事、そしてあったとしてもごくわずかな睡眠である。熱帯の太陽と雨に見舞われるインドは旅をするのに快適な国ではなく、奥地や辺鄙な町へ通じる道は荒れていて、当時は牛車かトンガ、あるいは徒歩でなければ通れないことが多かった。
