第17章: 会合とダルシャン
1945年· ババ 51歳ページ 2,475 / 5,444
結局、ガニが自身の書いた六篇のウルドゥー語記事を可能な限り早く5,000部印刷し、それらをババダスとヴィブーティに渡して一般配布用にするということが決められた。
その年の旅について報告する中で、ヴィブーティは自分がデーラードゥーンからラクナウに至る各地を訪れ、人々にバーバーについて知らせてきたと述べた。彼にもヒンディー語およびマラーティー語の文献が必要であった。
続いてバーバーはダウラト・シンにカシミールでの活動について尋ね、彼がそこで非常に影響力を持っていると述べた——
「彼は医師であり、市議会委員でもあります。ダウラト・シンの愛と献身は並ぶものがなく、その仕事は高く気高い水準にあります。」
シン博士は答えた。「私の師は不思議なお方であり、その道はさらに不思議です!私は本当の意味では何のお仕えもしていないのに、それでも彼は無限のお慈悲によって、マンダリの前で私を褒めてくださいます。私は友人や患者たちに気楽にバーバーのことを語り知らせ、彼の写真を見せます。彼らがふたたび彼について尋ねてくれば、私は語ってあげます。しかし中には、私の言葉に心を動かされない者もいます。」ダウラト・シンは、(『メヘル・バーバー・ジャーナル』創刊号に掲載された)「アバター」という記事を印刷することを提案した。
バーバーはガニに、ムスリムたちのアバターに対する全般的な感情について尋ねた。ガニは答えた。「ムハンマド教徒たちは、神が人間の姿を取られることを信じません。」
ガニの答えに関して、バーバーはこう述べた——
ムスリムたちの中には、注意深く心に留めるべき二つの点があります。通例、彼らは聖なる人物を信じる前に、奇跡によってその聖性が証明されることを要求します。彼らにとってシャリーア[外面的な宗教儀礼]はすべての始まりであり終わりであり、その信仰の土台です。また彼らは、人間が神になるなど不可能だと考えています。
さて、私が神聖なる剣を抜く前に、これらのムスリムにこうした障害を乗り越える備えをさせようとするなら、私たちは細心の注意と機転をもって行わなければなりません。しかしそれを行う際に、皆さんはシャリーアを是認してはなりません。人が神となることについては、慎重に事柄を説明しなければなりません。なぜなら、この偏見もまた無知に由来するものだからです。
真理はシャリーアを超えるものだと、皆さんは説明しなければなりません。シャリーアは始まりとしては良いものですが、よく見ればわかるように、シャリーアの要求を果たすべきだと言い張る者ほど、自らはその原則を顧みず、さまざまな悪徳に走るのが常です。シャリーアの束縛を打ち破る時が来ました。私が剣を抜けば、これらの束縛は砕け散ることでしょう。
