第17章: 会合とダルシャン
1945年· ババ 51歳ページ 2,457 / 5,444
1945年1月6日土曜日、バーバーは、バーバーのためのある仕事を済ませてボンベイから戻ってきたカカ・バリアに会うため、メヘラバードへ赴いた。この期間中、バーバーは一日に一度しか食事をとらなかった。アディ・シニアは指示を仰ぐため毎日アフマドナガルからピンパルガオンへ通い、ピンパルガオンのバーバーとメヘラバードのマンダリとの間で伝言を取り次いだ。
バーバーは26日、ある法的な事柄を協議するためラフリから呼び寄せたダケに会うため、メヘラバードへ赴いた。
1月31日水曜日、バーバーはピンパルガオンを発ち、女性たちと共にクシュルー・クォーターズからほど近いアフマドナガルのルシ・ポップの家へ移った。1ケイティとゴヘルの両親宅へのこの移転は、カレママの監督の下でピンパルガオンにおいて予定されていた小規模な建築および改修工事のために必要となったものであった。アフマドナガルへ移った後、バーバーはメヘラバードからラノを呼び寄せ、こうしてメヘラ、マニ、メフル、ラノ、ワルがポップの家でバーバーと共に過ごすこととなった。
1945年2月2日金曜日、バーバーはジャンシでのマスト・ワークのためバイドゥルとカカを伴ってアフマドナガルを発ち、4日にはそこで十四人のマストと接触した。中でも最も記憶に残る一人が、パンジャービ・マイと呼ばれるマスタニであった。バーバーはまたアッラーウッディンとも再び接触した。彼は非常に長い髪と髭を蓄えた裸のマストで、長年にわたり古い塔に背をもたせかけて座り、昼も夜も太陽や星空をじっと仰ぎ見ていた。
アウリヤ・ババはジャンシで最も高位のマストであった。彼はあまりに高齢で歩くことができず、足を地面に擦らせて移動していた。この聖者然としたマストはひどく汚れており、しばしば通行人に罵声を浴びせたが、他の者たちにはとても陽気であった。
バーバーは2月6日にアフマドナガルへ戻った。
5月に予定されていた一ヶ月の会合について、マンダリとの間で協議が行われた。バーバーは協議のためにメヘラバードを行き来し、時にはマンダリをアフマドナガルへ呼び寄せもした。最終的に、各都市から一名ずつのグループ代表をメヘラバードでの四十名(マンダリを含む)による小規模な会合に招き、一ヶ月の会合について最終的かつ決定的な判断を下すことに決まった!
既述の通り、一ヶ月の会合に出席しようとする男性の数は500人に達していた。これにはいくつもの困難が伴ったが、その点はバーバーが数週間後の1945年3月1日にアディ・シニアによって発行されたこの回章の中で次のように説明した通りであった。
脚注
- 1.それはアンティア大佐の所有する貸家であった。
