第16章: 戦時中のマストへの旅
1944年· ババ 50歳ページ 2,402 / 5,444
敷地の一方には、カンドバ(クリシュナ)の寺院がある小さな丘があった。屋敷の後ろにはテンビ・ヒルがあった(ここは後にバーバーがそこで行った仕事のために、マノナシュあるいは隠遁の丘として知られるようになった)。道を少し下ったところには景観の美しいピンパルガオン湖があり、バーバーが住居として選んだこの聖なる場所の美しさを一層引き立てていた。その一帯は静かで、穏やかで、人里離れていた。
バーバーが最初にその敷地を見に行ったとき、約60フィート×40フィートで二部屋に分かれた小屋が一軒あるだけだった。そのほかに、車庫、馬小屋、台所、附属小屋があった。すべてが荒れ果てていたが、バーバーはその場所が気に入った。アウランガバードに滞在している間に、男性マンダリによって小さな家が建てられ、修繕も行われていた。
ピンパルガオンへ移ってからは、バーバーはメヘラバードからラノを呼んで数週間滞在させ、別の折にはキティを呼んだ。しかしバーバーは定期的にメヘラバードまで車で行き、他の男女のマンダリを訪ねた。
バーバーはまた、アディ・シニアと共にマストを探しに絶えず出かけていた。前述のとおり、アディは毎日アフマドナガルから来てバーバーを車に乗せていた。バーバーはときおりクシュル・クォーターズを訪れてアディの母グルマイに会い、またアクバル・プレスにも立ち寄ってサタ家を訪ねた。
28歳のゴヘル・R・イラニは医学校を終え、家族と暮らすためにアフマドナガルに来ていた。彼女は心からバーバーと共にいることを望んでいたが、母コルシェドは、もう一人の娘がメヘル・バーバーのアシュラムに加わるために自分のもとを去るという思いに打ちのめされ、泣き続けていた。ゴヘルの姉ケイティは1938年以来住み込みの女性マンダリの一人であったため、母親はゴヘルには医師として働き、家で暮らしてほしいと望んでいた。しかしゴヘルの父ルシ・ポップは反対せず、それが彼女の真の望みであるならば、彼女がバーバーのもとに留まることを望んだ。ゴヘルはバーバーに、母の死後に来て共に暮らすつもりだと手紙で書き送った。
バーバーはアディ・シニアを通じて彼女を呼び寄せ、「私と共にいたくはありませんか?」と尋ねた。
ゴヘルはこう答えた。「あなたと共にいること以外に、私の人生に喜びはございません。何よりもあなたと共にいたいのです!けれども、母はそのことを思って泣き続けております。」
「私がしばらくあなたを此処に留め、その後送り返すと、お母様にお伝えください」とバーバーは指示した。
そこで1944年のピンパルガオン滞在期間中、バーバーはゴヘルを呼び寄せてはこれらの問題について話し合った。
