第16章: 戦時中のマストへの旅
1944年· ババ 50歳ページ 2,399 / 5,444
仕事を終えてアウランガーバードに戻ったバーバーは、貧しいながらも自尊心が強くて物乞いができない100世帯を、これから助けたいとマンダリに告げた。彼は、アフマドナガルとプーナの間に位置するナラヤンガオン、アレ、ラジュリ、ジュンナルの各町でそうした家庭を探すよう指示した。彼はそのプログラムの日取りを5月7日に定めた。
アウランガーバードからバーバーは、1944年3月13日付で愛し子たちに回状を出し、自身の計画の最新の進展を知らせた。イランの件は、旅券の取得の困難がいまだ解決していなかったため、依然として未解決のままであった。食糧配給の規則により、いかなる場所でも一度に50人を超える人々に食事を提供することはできなかった。このため、200名の署名者を一か月間メヘラバードでバーバーと共に滞在させようとする計画は実現不可能となった。これらすべての困難を整理するため、バーバーは6月にアフマドナガルでマンダリ24名と各グループの代表者たちによる会議を招集した。
バーバーはこの回状を次のように締めくくった——
すでに7日間の断食を行うよう命じられた方々は、1944年5月15日の午前8時より24時間にわたり、水も口にしない特別な断食をお守りください。その後、すでに命じられている7日間の断食につきましては、6月10日・11日の特別会議の後に皆様にお送りする最終回状にて指定される日に行ってくださって構いません。
本回状に述べられた困難はすべて、粗大の意味において、また世俗的・実際的な観点から見て、現実のものであり、そのような意味で、寸分の欠けもない事実であります。しかしながら、私は私であり、また全知全能であって、すべてを知り、すべてを知っていた者と見なされている以上、私は望むままにあらゆることを取り計らうことができたはずであります。したがってこのことから自然な結論として、また唯一の意味として導かれるのは、私自身がさらなる延期のためにこれらの困難と状況を作り出したのであり、その背後には正確な目的と、明確で予め定められた理由があるということであります。それを、幸運に恵まれた者たちのみがやがて知ることになるでしょう。
ですから前回の回状で私はこう申し上げました——「疑う者、焦る者、失望する者は、躊躇わずに退いてくださって構いません。私はそれを彼らの弱さとは見なさず、ただ定められた霊的な時に歩調を合わせる準備ができていないだけと受け止めます。そして彼らもまた、これまでと変わらず私から祝福を受けることになります。」
