第16章: 戦時中のマストへの旅
1943年· ババ 49歳ページ 2,359 / 5,444
前者こそ、必要なときに実際の行動に出る気概も度胸もなく、利己的な目的のためにのみ理想を抱くような、単なる理想主義者たちの混乱した理想にすぎないのであります。それに対して、原則は持たぬとも、必要なときにはいつでも行動に出る気概があり、他者のためならば火の中にさえ飛び込むような者は、千人の理想主義者を合わせたよりも価値があるのです!
どれほど崇高であろうと、他者の益や奉仕のための行動へと人を駆り立てぬ理想に、何の価値や用がありましょうか。
その後、バーバーは午前11時30分にメヘラバードへ向けて出発した。
1943年6月9日水曜日、チャガンの兄弟ヴァサント・デーシュムクがバーバーに会うためメヘラバードへやって来た。ヴァサントはウパスニ・マハラジの近しい弟子であり、サコリで暮らしていた。彼はマハラジが肉体を離れた今もアシュラムに住み続けるべきかどうかを知りたがっており、バーバーはそうすべきだと請け合った。
アランガオンには第一次世界大戦中、軍の野営地があった。第二次世界大戦中も再び軍の野営地がそこ(下メヘラバードの近くにある結核療養所のある場所)に置かれた。しかしペンドゥにとっては大きな安堵となったが、メヘラバードの建物群は接収されなかった。その軍の野営地はまったく別の話で、メヘラバードの建物は一棟たりとも徴用されなかった。
軍人たちのために、サロシュはアランガオンに映画館を開いた。9日、バーバーはラホールへの旅を計画していたため、不在中にその映画館で働く任務をマンダリに与えた。ペンドゥが映画館の支配人、サヴァクが会計、パドリが映写技師となり、他のマンダリは門番を務めながら売店の品を売った。ガニの十二歳の甥ラシード(ガニの弟アブドゥル・レーマンの息子)がこの時、彼らとともに滞在しており、映画の映写機の扱い方を教えられた。フェラム(ワーキングボックスワラ)もメヘラバードの住人であり、業務上の書簡をこなすよう命じられた。
バーバーはサロシュに、24時間以内にイギリス種の子牛二頭をメヘラバードへ連れて来るよう仰せつけた。サロシュはプーナのキルキーにある軍の酪農場へ急ぎ駆けつけた。雄の子牛は渡していたので管理者は承諾し、運ぶためのトラックをよこすようサロシュに告げた。サロシュは子牛たちを自分の車に乗せて連れて行くと言った!その男は驚いて、車が傷むと指摘したが、サロシュは構わないと答えた。多大な苦労の末、彼は定められた時間内に白い子牛と黒い子牛を自分の車に乗せ、メヘラバードへ連れて来ることに成功した。彼はその子牛たちをバーバーに献じ、バーバーはそれらをメヘラに任せて世話をさせた。メヘラは哺乳瓶でその子牛たちにミルクを与え、バーバーもまた時折みずから与えていた。バーバーは黒い子牛にラジャ(王)、白い子牛にプラダン(宰相)と名付けた。メヘラはマニの助けを借りて庭の世話もしていた。
