第15章: 隠遁
1941年· ババ 47歳ページ 2,223 / 5,444
彼は社会から見れば衝撃的とされる振る舞いをします。毎日、何千もの人々が彼のそばを通り過ぎ、嫌悪を催すような癖を目にしますが、誰も何も言いません。警察も彼に干渉しません。普通の正気の人間が同様の行いをすれば、起訴されるばかりか、法による厳しい処罰を受けることにもなりかねません。ところが、このマスト[神に酔う者]の場合、誰も彼を真剣に取り合わず、誰一人気にかけません。なぜでしょうか?それは、誰もが彼を完全に正気を失った狂人と見なし、したがって自身の行いに責任を負わない者と捉えているからにほかなりません。
同様に、私は悟りに達していないすべての者を狂人と見なし、彼らが私や私の仕事について好意的であろうとなかろうと、何を行い何を語ろうとも一切意に介しません。最悪のスキャンダルや最も汚らわしい罵詈雑言の場合であっても、彼らに責任がないことを私は知っています。彼らは騒動を起こすことを生業とする利害関係者たちに唆されているからです。もしあなた方が彼らを正し、その過ちを指摘するのであれば、必要な場合には、品位と愛情と優雅さをもってそうしてくださってかまいません。
幻影と実在、そして普通の人間と神人(ゴッドマン)との違いについてさらに説明しながら、バーバーは次のように述べた。
宇宙には、一方に実在があり、もう一方に幻影があります。実在は無限です。それゆえ、実在の影である幻影もまた無限です。この幻影は、その現れた様相と無数の形態 ― 生命、光、愛、力など ― において無限です。しかし、幻影のこれらの様相や形態はあまりにも有限であり、取るに足らぬほどです。別の言い方をすれば、ゼロ[零]に等しいといえます。要するに、多なるものの中の「一者」は無限であり、「一者」の中の多なるものもまた無限です。言い換えれば、無数の生命、問題、関心事、情熱は、その多様な様相と形態のすべてにおいて無限です。
神人(ゴッドマン)の背後には無限があります。神人はそれと一体だからです。しかし普通の個人の背後にあるのは、心(マインド)と、その現れた様相における自我(エゴ)です。神人(ゴッドマン)[無限]と人間[有限]の双方の行為は、外見上は似て見えます。それは無限が有限の次元へと降りてきたからです。しかし、この外見上の類似にもかかわらず、内的には、そして実相においては、天と地ほどの違いがあります。私の行為の背後にあるのは無限であり、そこには束縛がなく、ゆえに印象も生じません。私は心(マインド)と自我(エゴ)を超えているからです。一方、普通の人の行為の背後にあるのは、束縛を持ち印象を生み出す心(マインド)と自我(エゴ)です。
